昆虫学(読み)コンチュウガク(その他表記)entomology

翻訳|entomology

デジタル大辞泉 「昆虫学」の意味・読み・例文・類語

こんちゅう‐がく【昆虫学】

昆虫を対象とする自然科学。昆虫の分類生理生態遺伝などを研究するほか、農学医学と関わりをもつ応用科学としての一面をもつ。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「昆虫学」の意味・わかりやすい解説

昆虫学
こんちゅうがく
entomology

昆虫類を対象とする生物学ないしは動物学の一分野をいい、しばしばダニ類を便宜上対象に含めることがある。昆虫は分類学上では節足動物門の一綱にすぎないが、種類数が全動物の大半を占めるほど多く、生態などもきわめて多様なため、それらを対象とする昆虫学は動物学と対比されるほどに内容の広がりをもっている。この背景には、昆虫類が人類の生活と深いかかわりをもち続けてきたことがあげられよう。それゆえ、分類学、形態学、発生学、生態学、生理学、生化学などの基礎的分野の発達と並んで、応用昆虫学諸分野の著しい発達がみられるのは大きな特徴ということができる。養蚕、養蜂(ようほう)もその一部であるが、農林業や牧畜、医学や衛生上の多数の害虫の存在はそれぞれに研究を進展させただけでなく、基礎的分野の研究を促進した。第二次世界大戦後の農薬の開発に続く天敵利用など生物防除の進展から、昆虫の生活や行動を制御するフェロモンなどの研究や、社会性昆虫学、生存のための戦略など昆虫行動学の著しい進歩など、近年の昆虫学の発展はまことに目覚ましいものがある。分類学においても系統の解析が盛んに行われるようになってきた。

 近代生物学としての昆虫学の始まりは、たぶん、1667年にイタリアのレーディが、ハエは肉からわくのでなく、卵から生じることを実証し、またその翌年マルピーギカイコの詳しい解剖図を発表したころであったろう。18世紀に入ると、フランスのレオミュール、ドイツのレーゼルA. J. Roesel、オランダリオネP. Lyonet、スウェーデンイェールC. de Geerらが昆虫とその生活に関する著書を出版し、リンネの始めた種の二名法はデンマークファブリキウスの著書『昆虫の体系』に採用され、昆虫分類の基礎となった。19世紀には海外への渡航や探検が盛んになり、多くの資料が蓄積され分類など大いに進んだ。20世紀になると、諸科学の進歩発達に伴って急速に発展を遂げた。昆虫が実験動物として生物学の進歩に寄与してきたことは、遺伝学へのショウジョウバエの貢献でも明らかであるが、かなりの種類が現在においても研究に利用されている。

 日本では、古くは本草(ほんぞう)学の一部で昆虫が扱われていたが、近代的な昆虫学が導入されたのは明治以後のことである。まず、来日したイギリスのフェントンM. A. Fenton、プライヤーH. J. S. Pryer、リーチJ. H. Leech、ルイスG. Lewisらに指導を受けた人たち、東京帝国大学の石川千代松(ちよまつ)や佐々木忠次郎(ちゅうじろう)らが中心となって、とくに応用昆虫学の研究者養成に努めた。他方、札幌農学校(後の北海道大学農学部)の松村松年(しょうねん)は、主として分類学を専攻して多数の書を著し、素木得一(しらきとくいち)ら門下の人たちとともに昆虫学の発展に貢献した。民間では名和靖(なわやすし)が名和昆虫研究所を岐阜市に設立して一般への普及に努めた。ついで三宅恒方(みやけつねかた)は名著『昆虫学汎論(はんろん)』によって知られているが惜しくも41歳で没した。このあと江崎悌三(ていぞう)は九州大学農学部の設立に際し東京帝国大学から移り、昆虫学教室の基礎を固め、安松京三(やすまつきょうぞう)はじめ多くの研究者を養成し、昆虫学の発展に寄与した。第二次世界大戦後は多くの新制大学ができ、各地の生物学あるいは昆虫学の研究室で昆虫の研究が行われるようになり、アマチュアの同好者も著しく増加し、多くの雑誌、報告が出版されつつある。

[中根猛彦]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「昆虫学」の意味・わかりやすい解説

昆虫学
こんちゅうがく
entomology

昆虫を対象とする生物学の一分科。昆虫は動物界最大の綱で,現在およそ 80万種が知られているが,おそらく 200万種はいると考えられている。このように種類数と個体数が多く,人間の生活に密接にかかわっていることから,昆虫学の内容は多岐にわたる。昆虫の基本的な知識や生育史などを扱う生物学的分野には,分類学,生態学,行動学,生理学などがある。害虫の駆除や益虫の利用を扱う応用的な分野は応用昆虫学と呼ばれ,衛生昆虫学,農業昆虫学,森林昆虫学などに区分される。
歴史的には,紀元前 2600年頃の養蜂技術を示した彫刻が,すでにエジプトの寺院にみられる。東洋では前7~前6世紀頃にチャラカにより動物分類学の基礎がつくられた。西洋では紀元前4世紀頃,ギリシアの哲学者であり博物学者であるアリストテレスが多くの動物を研究しており,昆虫もその一つであった。自然発生説を認めるなど彼の考察には誤りも多かったが,昆虫の体が頭,胸,腹の3つの部分から成ることを記述しており,近代科学としての昆虫学の基礎を築いた。昆虫学 entomologyという言葉は,アリストテレスがこの種の動物をエントマ entomaと呼んだことに由来する。ローマ学派の哲学者プリニウス (大)はアリストテレスのふれていない多くの昆虫を記載し,昆虫学に貢献した。
プリニウス以降は西洋の暗黒時代で,昆虫に関する記述はイタリアの博物学者 U.アルドロバンディの『昆虫について』 De Animalibus insectis (1602) まで現われなかった。 17世紀なかばに顕微鏡が発明されると,昆虫の構造について多くの発見がオランダの博物学者 J.スワンメルダムやイタリアの M.マルピーギらによってなされた。 1688年にはイタリアの F.レディが肉に産みつけられた卵からサシバエを飼育することに成功し,アリストテレス以来の自然発生説を打破している。現代の昆虫分類学は 18世紀に始った。最も重要な業績は,フランスの生物学者レオミュールが 1734年に第1巻を著した『昆虫の生活に関する考察』 Mémoires pour servir à l'histoire des insectesである。またスウェーデンの博物学者 C.リンネはその著書『自然分類』 Systema Naturae (第 10版,1758) で全動物の種を二名法で分類整理し,昆虫を分類するうえで欠かせない方法を確立した。
19世紀初頭になると昆虫学はめざましく発達し,昆虫学会も創立されて科学の独立した一分野として認められるようになった。 20世紀に入ると,応用昆虫学が発達し,人間にとって大きな脅威である病害虫,例えばペストを媒介するノミや日本脳炎を媒介するコガタアカイエカ,果樹を食害するミバエの仲間などの駆除に,生理学 (殺虫剤の開発やフェロモンなどの昆虫誘因物質の合成) や生態学 (捕食性動物の導入) および公衆衛生学 (環境の整備や予防) などを組合わせた戦略で,かなりの効果があがった。もっとも,殺虫剤の使用により強い抵抗性をもつ害虫が発生したり,害虫の捕食者であるカマキリやトンボまで駆除されるなど,生態系に与える影響は大きく,農業昆虫学は多くの問題をかかえてしまった。しかし昆虫学によって蓄積されたデータは,ショウジョウバエを使った遺伝子研究をはじめ,進化学,生態学,生化学の分野に利用され,大きな成果をあげているのも事実である。

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世界大百科事典(旧版)内の昆虫学の言及

【動物学】より

…やがて19世紀のC.ダーウィンの登場によって,動物学は新しい局面を迎え,現代生物学の一分野として統合されるに至った。 なお動物学を,その研究対象に応じて,昆虫学entomology,鳥学(鳥類学)ornithology,哺乳類学mammalogy,魚類学ichthyology,貝類学conchology,霊長類学primatologyなどと呼ぶことも多い。生物学【日高 敏隆】。…

※「昆虫学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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