和田岬砲台(読み)わだみさきほうだい

日本歴史地名大系 「和田岬砲台」の解説

和田岬砲台
わだみさきほうだい

[現在地名]兵庫区和田崎町一丁目

和田岬の突端三菱重工業神戸造船所構内にある。幕末外敵からの京都保護の必要から摂海防備が建策されたとき、幕府により建設された砲台の一。文久三年(一八六三)四月に着工、元治元年(一八六四)一二月に完成した。担当は大坂町奉行、設計・枝術指導は勝海舟で、幕府廻船方御用達嘉納治郎作が工事を請負った。砲台は星(五稜)土塁中央の円筒型石堡塔で高さ約一一メートル・内径約一二メートル。外部は花崗岩、内部は木造二階建で一階壁面には格子型の弾薬保管棚を設け、中央に砲身冷却用の井戸が掘られている。二階は大砲を据えるようになっており、砲門は一一ヵ所あるが実際に装備されることはなかった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「和田岬砲台」の解説

わだみさきほうだい【和田岬砲台】


兵庫県神戸市兵庫区和田岬町にある砲台。「臼砲台」とも呼ばれ、幕末、外国艦船に対する海岸防備のため兵庫津の西南端にある砂州からなる和田岬の先端に、勝海舟の設計によって築かれた。着工は1863年(文久3)で完成したのが1864年(元治1)という異例の早さで工事が進められ、総工費が2万5000両だった。石造円形の堡塔(ほとう)は内径12.2m、外径15.1m、高さ11.5mで石材は岡山県の塩飽(しわく)諸島から海上輸送された。石材は幅1.5m、高さ1.2m、厚さ1.2mほどの花崗岩を1段に24個並べ、10段積みに造成。内部は木造2階で、1階の中央には井戸を配し、壁際には火薬庫弾薬庫が据え付けられた。2階には1ヵ所の明かり窓と11ヵ所の砲眼があり、砲眼部分に扉が付いていた形跡はないが、この種の遺構としては貴重なものとされ、1921年(大正10)、国の史跡に指定された。この砲台は明治維新後に兵部省の演習砲台になったが、1926年(大正15)に修理され、三菱重工業の敷地内に保存された。JR東海道本線神戸駅から神戸市バス「和田岬」下車、徒歩約10分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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