品川用水(読み)しながわようすい

日本歴史地名大系 「品川用水」の解説

品川用水
しながわようすい

江戸時代に開削された農業用水路。品川領九ヵ宿村(戸越村・上蛇窪村・下蛇窪村・居木橋村・桐ヶ谷村・北品川宿・南品川宿・二日五日市村・大井村。全村幕府領)田畑を灌漑した。品川領の村は東海道品川宿や南品川猟師みなみしながわりようし町以外は農耕地帯であった。目黒川や立会たちあい川の流域には水田が開かれていたが、大部分は台地畑作が中心であった。用水は湧水溜池に依存していたが、しばしば干害に悩まされた。このため村村では幕府に対して農業用水路開削の嘆願を続け、寛文七年(一六六七)幕府は開削を許可、工事が開始された。工事費は幕府が負担し、江戸京橋西紺屋きようばしにしこんや(現中央区)の尾張屋金兵衛らが請負い、同九年に完成した(品川用水沿革史)

水路は多摩郡さかい(現武蔵野市)玉川上水を分水し、連雀れんじやく新田・野川のがわ(現三鷹市)下仙川しもせんがわ(現調布市)烏山からすやま村・粕谷かすや村・廻り沢めぐりさわ村・船橋ふなばし村・世田谷せたがや村・弦巻つるまき村・世田谷新町(現世田谷区)を過ぎ、上馬引沢かみうまひきざわ村・下馬引沢村(現同上)碑文谷ひもんや(現目黒区)を通って、現品川区小山台こやまだい一丁目のおさる橋庚申堂付近で品川区域に入り、戸越とごし村の地蔵の辻で二筋に分れ、一筋は桐ヶ谷きりがや村・居木橋いるぎばし村・北品川宿を経て目黒川に落ち、一筋は上蛇窪かみへびくぼ村から立会川を掛渡樋で渡り大井おおい村へ、同村から下蛇窪村を通って南品川宿へと流下していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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