哲学の慰め(読み)てつがくのなぐさめ(その他表記)De consolatione philosophiae

改訂新版 世界大百科事典 「哲学の慰め」の意味・わかりやすい解説

哲学の慰め (てつがくのなぐさめ)
De consolatione philosophiae

ボエティウスの最後の著作。彼は523年,東ローマ皇帝と誼(よしみ)を通じ当時イタリアを支配していた東ゴート王テオドリックに反逆を企てたかどで〈諸官僚の長magister officiorum〉を罷免,投獄されるが,525年(または526)処刑されるまで獄中でこの本を執筆。5巻からなり,全体は韻文散文とを交互に配した〈メニッポス風〉という形式にのっとって著されている。顕職から一挙に囚人の身となり,悲運をかこつ彼が提起するさまざまな問いに対し,女神に寓意化された〈哲学〉が答える体裁がとられており,プラトンの《ティマイオス》の新プラトン主義的解釈を軸に,神と世界との関連が主題とされる。そして,悲運の嘆きは真の自己の忘却によるものであって,変転きわまりない現世への執着をたち切り,〈最高善〉〈永遠の形相〉〈世界の第一原因〉としての神へと還帰することの必要が説かれ,これはまた自己認識の過程にほかならないことが主張される。さらに,第4巻以降においては,運命摂理への従属と,古来哲学諸派の論点であった,すべてを予見する神の摂理と人間の自由意志との矛盾の問題が扱われ,認識が認識対象ではなく,むしろ認識主体の本性に即してなされるという観点から解決がはかられている。本書は,カロリング朝以来ルネサンスにいたるまで,一種の哲学入門書として〈自由学芸〉の伝統の中で確固たる地位を占め,英語圏だけでも,アルフレッド大王,チョーサー,エリザベス1世により翻訳がなされている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の哲学の慰めの言及

【キリスト教文学】より

…フランスのボルドーに生まれた,ノラのパウリヌスも彼につづくすぐれたキリスト教詩人であるが,さらに優しい心情で聖フェリクス誕生の祝歌や,キリスト者の婚礼歌などをつくっている。 これにつづく5~6世紀は,帝国西部がゲルマン民族に攻略され,不安と騒乱に陥った時代で文学もまったく衰えたが,信仰の情熱は対比的にはげしくなり,アウグスティヌスの弟子である護教家オロシウスや,《神の統治について》などの著者サルウィアヌス,最もキリスト的な詩人といわれるセドゥリウスSedulius(470年ころ活動),散文では《哲学の慰め》で知られるボエティウスや,《教会史》を著作目録に含むカッシオドルスがあり,布教活動の面では,5世紀の教皇レオ1世ののち,ベネディクト会をはじめたベネディクトゥスと教皇グレゴリウス1世が特筆に値する。この3人はいずれも教義の確立や修道会の規制のため,説教,論説,書簡など多量の著述をもったが,ことにベネディクトゥスの〈修道会会則(ベネディクトゥス会則)〉は後世に大きな影響を与えた。…

【ボエティウス】より

…前2世紀以来の有数のローマ貴族の出自であり,5世紀当時イタリアを支配していた東ゴート族テオドリック王朝下において宰相の地位にまで昇ったが,コンスタンティノープルとローマ教会の首位権をめぐる抗争や東ローマ帝国と東ゴート王国との対立にまきこまれ失脚,投獄されパビアにおいて処刑された。獄中で書いた《哲学の慰め》は哲学入門書として広く読みつがれた。彼はその家系から〈最後のローマ人〉,また著作の及ぼした影響から〈最初のスコラ哲学者〉と称される。…

【ラテン文学】より

…このほか5世紀初頭には文献学者マクロビウスや,いわゆる自由七科についての百科全書的記述によって,中世教育制度の基礎を築いた修辞学者のマルティアヌス・カペラがいる。さらに6世紀には,中世に聖書に次いで愛読された《哲学の慰め》の著者ボエティウスが,最後の世俗ラテン作家となった。世俗詩人も6世紀中葉のコリップスCorippusあたりが最後であろう。…

※「哲学の慰め」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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