啓迪集(読み)けいてきしゅう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「啓迪集」の意味・わかりやすい解説

啓迪集
けいてきしゅう

医学書。初代曲直瀬道三(まなせどうさん)撰述(せんじゅつ)。全8巻。1574年(天正2)日本においては病の証を弁別して治療を施す全書のないことを遺憾に思った道三は、自家の臨床経験の立場から中国の古今の代表的医書64部を選び、その主要部分を抜粋し、平易簡潔にまとめて集大成した。中風、傷寒から婦人・小児病に至る病類を74部門に分け、病類ごとにその名証(名義)、由来(定義)、弁因(原因)、証(症候)、脈法(診断)、類証(類証鑑別)、予知予後)、治法(治療)の8項に分けて論述し、中国医学の日本化に成功した。正親町(おおぎまち)天皇はこれを嘉賞(かしょう)し、周良策彦(しゅうりょうさくげん)に序文を命じ、翠竹院(すいちくいん)の院号を道三に賜った。

矢数道明

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「啓迪集」の意味・わかりやすい解説

啓迪集
けいてきしゅう

8巻から成る医学全書。曲直瀬道三 (まなせどうさん) 著。元亀2 (1571) 年刊李朱医学 (→朱震亨 ) を体系的に紹介したものでありながら,日本独自の漢方発展基盤となった。啓迪は曲直瀬道三の塾名である。

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世界大百科事典(旧版)内の啓迪集の言及

【医学】より

…門人800人ともいい,また3000人ともいう。著書《啓迪集》8巻(1573)もよく読まれた。永田は,自らは知足斎と称して栄達を求めず,諸国を遍歴して診療をし,〈甲斐の徳本〉とよばれて尊敬された。…

【医者】より

…神,聖,功,巧の四知(望,聞,問,切の四診)を励行して病因を察したばかりか,急性と慢性疾病の区別を明確にし,年齢や性別,生活環境のちがいに応じて臨機応変に合理的治療を行った。その医術は《啓迪(けいてき)集》に集約されている。しかも,学舎啓迪院を基盤に医学教育を行い,豊臣政権下で施薬院を復活した全宗や江戸幕府の奥医師制度を企画した曲直瀬玄朔ら後継者を育成した。…

【曲直瀬道三】より

…フロイスの《日本史》や《イエズス会日本年報》に道三のキリスト教入信の記事があり,77歳で洗礼を受けたとされるが,日本側の記録は知られていない。主著に《察証弁治啓迪集》があり,《雲陣夜話》《薬性能毒》ほか多数の著書がある。甥の玄朔(東井)が養嗣子として2代目道三を名乗り,道三流医学を普及した。…

※「啓迪集」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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