国太夫節(読み)クニタユウブシ

デジタル大辞泉 「国太夫節」の意味・読み・例文・類語

くにたゆう‐ぶし〔くにタイフ‐〕【国夫節】

浄瑠璃流派の一。享保(1716~1736)初期一中節から一派を立てた都国太夫半中が始めたもの。のち宮古路みやこじ豊後と名のったので、豊後節とよばれる。半中節宮古路節
1から分かれて上方かみがたで行われた浄瑠璃の諸流総称薗八そのはち繁太夫節正伝節など。

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精選版 日本国語大辞典 「国太夫節」の意味・読み・例文・類語

くにだゆう‐ぶしくにダイフ‥【国太夫節】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 浄瑠璃の流派の一つ。初代都一中の門弟都国太夫半中が語り出したもの。享保一五年(一七三〇)ごろ、国名豊後」を名のることを許され、宮古路豊後掾を称して以来、豊後節と呼ばれる。半中節。
    1. [初出の実例]「楽天が国太夫節久しうきかぬ」(出典:洒落本・聖遊廓(1757))
  3. 都国太夫半中の門弟が語りはじめた浄瑠璃の総称。繁太夫節、薗八(そのはち)節、正伝節など。

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改訂新版 世界大百科事典 「国太夫節」の意味・わかりやすい解説

国太夫節 (くにたゆうぶし)

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デジタル大辞泉プラス 「国太夫節」の解説

国太夫(くにだゆう)節

古典落語演目ひとつ。「粥(かい)やろう」の別題。「国太夫節」は宝永年間に始まり、天保の頃まで歌われた浄瑠璃節

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世界大百科事典(旧版)内の国太夫節の言及

【豊後節】より

…《宮古路月下の梅》《宮古路大寄蔵》など宮古路を頭におく各種の正本類もすべて同じである。これらを総称して,宝暦・明和(1751‐72)のころは〈国太夫節〉あるいは〈宮古路浄瑠璃〉(ともに,もとは豊後掾を名のる以前の宮古路国太夫半中が上方で語った浄瑠璃の称)といい,天明(1781‐89)以降は〈豊後節〉あるいは単に〈ぶんご〉といい,幕末まで行われた。その一部は5世都一中の時代に江戸の一中節に移され,現存している。…

【宮古路薗八】より

…初世の没後2世を継いだが,1762年(宝暦12)ころ宮薗豊前と改名,さらに66年(明和3)宮薗鸞鳳軒(らんぽうけん)と改め,宮薗節を創始した。劇場出演はなかったが,当時上方で盛んだった国太夫節(豊後節)の統領的存在であったらしい。美声で作詞・作曲に優れ,多くの作品を書いたが,現在10段が残されている。…

※「国太夫節」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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