繁太夫節(読み)しげたゆうぶし

精選版 日本国語大辞典 「繁太夫節」の意味・読み・例文・類語

しげたゆう‐ぶし しげタイフ‥【繁太夫節】

〘名〙 上方浄瑠璃の一流派。宮古路豊後掾の門人宮古路(のちの豊美)繁太夫が、元文一七三六‐四一)頃から語り出したもの。大坂の島の内を中心花柳界流行一代で絶え、曲は地唄の中に残る。
浄瑠璃新版歌祭文お染久松)(1780)野崎村「御評判の繁太夫(シゲたいふ)ぶし」

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デジタル大辞泉 「繁太夫節」の意味・読み・例文・類語

しげたゆう‐ぶし〔しげタイフ‐〕【繁太夫節】

《「しげだゆうぶし」とも》浄瑠璃の流派の一。宮古路豊後掾みやこじぶんごのじょう門弟、宮古路(のちに豊美とよみ)繁太夫が、元文・寛保(1736~1744)のころに大坂で創始。その曲節地歌の中に残る。

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改訂新版 世界大百科事典 「繁太夫節」の意味・わかりやすい解説

繁太夫節 (しげたゆうぶし)

浄瑠璃の一分派で,〈繁太夫物〉として地歌に残る。宮古路(みやこじ)豊後掾の大坂での門弟宮古路繁太夫が,元文(1736-41)ごろ語り出した。彼は延享(1744-48)ごろ豊美(とよみ)繁太夫を名乗り,宮古路から分派独立した。歌舞伎にも出演したが,その本領は座敷演奏にあったらしく,大坂の島の内を中心に花柳界で流行した。繁太夫には後継者がなく一代で絶えたが,お座敷芸として上方の盲人音楽家が伝承し,繁太夫節は地歌に吸収された。初期の代表者は鶴山勾当で,《濡扇(ぬれおうぎ)》などの新作も作り,宝暦(1751-64)ごろ江戸に下って〈鶴山節〉として吉原で流行させた。しかしこれは曲調が哀愁すぎるというので禁止されたと伝える。大坂では盲人音楽家の浄瑠璃物として喜ばれ,それ以前の浄瑠璃物も繁太夫風に改調された。また富岡検校の《橋づくし》《髪梳き》,峰崎勾当の《薄雪》などの新作も作られたが,明治年間には門付(かどづけ)が演奏したので,品が悪いとして一般には演奏されなくなった。しかし富崎宗順が伝えていて富崎春昇に教え,春昇が1917年に上京してこれを紹介してから,世に知られるようになった。作品には短編曲が多く,内容も曲調も悲哀を帯びたものが多い。三味線の合の手に独特の手が繰り返される。代表作は前記のほか《三吉子別れ》《千鳥》《小さん金五郎》などがある。
地歌
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「繁太夫節」の意味・わかりやすい解説

繁太夫節
しげたゆうぶし

上方浄瑠璃(かみがたじょうるり)の一流派。宮古路豊後掾(みやこじぶんごのじょう)の門弟宮古路繁太夫の名は1733年(享保18)刊の『筆顔見世鸚鵡硯(ふでのかおみせおうむのすずり)』という評判記にみえ、師豊後掾の没年(1740)の前後には名声をうたわれていたことから、寛保(かんぽう)年間(1741~44)に姓を豊美と改め分派独立したらしい。歌舞伎(かぶき)芝居にも出演したが、大坂・島之内(しまのうち)の遊里を中心に座敷浄瑠璃として流行したと思われる。後継者は育たず、繁太夫の流儀は一代を盛時として絶えたが、盲人の鶴山勾当(つるやまこうとう)は好んでこれを語り、宝暦(ほうれき)年間(1751~64)に江戸へ下って吉原に住み、上方歌を広めた。宝暦12年(1762)上梓(じょうし)の奥付のある『泉曲集』には、勾当自身の作曲になる『妹背(いもせ)の秋草』『濡扇(ぬれおうぎ)』が載せられている。とりわけ大坂では、歌木検校(けんぎょう)をはじめ盲人音楽家の間で繁太夫の浄瑠璃物が好んで取り上げられ、後には地歌(じうた)の演奏家たちによって新たな作曲も手がけられた。

 今日も地歌のなかに繁太夫物として吸収摂取され伝承されている。

[林喜代弘]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「繁太夫節」の意味・わかりやすい解説

繁太夫節
しげたゆうぶし

宮古路豊後掾の弟子宮古路繁太夫 (寛保の末頃豊美と改姓) が大坂で創始した浄瑠璃。豊後掾の没した元文 (1736~41) 頃に豊後節から独立。歌舞伎にも出演したが,ほとんど座敷演奏を主とした。繁太夫の没後は地歌の鶴山勾当が伝え,それが宝暦 (51~64) 頃には江戸に下って吉原で鶴山節として広められたが,曲調が哀愁に過ぎるとして禁止された。その後鶴山の新作をも含めて地歌演奏家の間に繁太夫物として伝承され,明和 (64~72) の富岡検校以下新作も増補されたが,明治期にはすたれ,大正期に富崎春昇が演奏して以来再び流行。代表曲『梅の由兵衛道行』『濡扇』『時雨の松』『妹背の秋草』『三勝』『小春髪梳』『橋尽し』など。

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世界大百科事典(旧版)内の繁太夫節の言及

【浄瑠璃】より

…河東節,豊後三流,新内節を江戸浄瑠璃ともいう。豊後掾の門弟宮古路薗八が京で薗八節(宮薗節)を広め,この分派の春富士正伝が正伝節を上方の歌舞伎で語り,豊後掾の門弟宮古路繁太夫は繁太夫(しげたゆう)節を元文(1736‐41)ころから大坂の劇場や座敷で語った。河東節,新内節,薗八節などは酒席で多くうたわれたので肴(さかな)浄瑠璃,歌浄瑠璃といわれた。…

※「繁太夫節」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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