改訂新版 世界大百科事典 「国鉄新潟闘争」の意味・わかりやすい解説
国鉄新潟闘争 (こくてつにいがたとうそう)
1957年春闘において国労(国鉄労働組合)は新賃金に関する公労委の調停案の取扱い,仲裁移行,業績手当支給問題などをめぐる国鉄当局,政府との紛争の過程で実力行使を実施した。春闘解決後,4月から10月の藤林斡旋案を労使が受諾するまで,国鉄の労使関係は,争議行為の責任者処分,それに対する処分反対実力行使,さらに被解雇者を三役とする労働組合との団体交渉の当局側の拒否などで改善されず,紛争は悪循環を続けた。とくに,7月9~18日の間,新潟地方本部と新潟管理局との間での2人の懲戒免職者の処置をめぐる対立から行われた大規模な実力行使では,列車の運休と遅延が続出し局地的に麻痺状態に陥り,地域住民,諸団体,ジャーナリズムを騒然とさせた。この結果,組合は19人の追加解雇,組合脱退者の続出,新労組の結成など打撃を受けた。以上の新潟闘争を頂点とする57年国労闘争は,58-59年の全逓闘争とともにその後の官公労諸組合のスト権奪還闘争の重大な契機になった。
執筆者:氏原 正治郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報