国際カルテル(読み)こくさいかるてる(英語表記)international cartel

日本大百科全書(ニッポニカ) 「国際カルテル」の意味・わかりやすい解説

国際カルテル
こくさいかるてる
international cartel

2国またはそれ以上の国々の企業あるいはその結合体が、それぞれの独立性を保ちながら、価格の設定、生産制限、販売市場の割当て、技術の使用制限などを取り決める行為、ないしはその組織をいう。国際カルテルは、同じ分野の国際的企業が参加して、破滅的な競争とくにダンピングなどを防止するためにつくられることが多い。19世紀なかばごろから、先進資本主義国においては、石炭業や鉄鋼業などの主要な産業部門で寡占企業が形成され始め、やがてこれらの巨大企業はカルテルトラストシンジケートなどの独占組織をつくるようになった。そして国内市場における独占的支配を達成すると、次には海外市場における独占的支配を企図するようになり、他の国の巨大企業と価格協定などを結び、市場支配を拡大しようとする動きを示すようになった。

 近代の独占資本主義史上もっとも早く形成された国際カルテルは、1867年にフランスとドイツの大企業がカリウム塩の生産と販売に関して結んだ協定である。ついで1875年には、イギリスからインドのカルカッタ(現コルカタ)への航路の運賃引下げ競争防止の目的でカルカッタ海運同盟が結成され、さらに1884年にはイギリス、ドイツ、ベルギーの巨大鉄鋼業による販売協定(国際軌条カルテル)が結ばれた。しかし、19世紀末までの国際カルテルの数は40に満たず、まだ小規模であった。国際カルテルが本格的発展を示したのは、20世紀に入ってからであり、第一次世界大戦(1914~18)前までに110を数えた。1907年の電気産業における国際カルテルは、その典型的なものであった。これはアメリカのGE(ゼネラル・エレクトリック)とドイツのAEG(アルゲマイネ・エレクトリツィテーツ・ゲゼルシャフト)との世界市場分割協定であり、GEはアメリカとカナダの市場を手に入れ、AEGはドイツ、オーストリア、ロシア、オランダデンマークスイストルコなどの市場を手に入れた。

 第一次世界大戦後の1920年代は、国際カルテルがもっとも大規模に結成された時期であり、第二次世界大戦(1939~45)前までにその数は300以上を数えた。1928年から1937年までの10年間に、国際カルテルを形成した企業連合が取り扱った貿易高は、世界貿易総量の約40%を占めたといわれる。石油、鉄鋼、石炭、非鉄金属、電球、ゴム、マッチ、兵器などの産業分野で各種の国際カルテルが結成されているが、そのなかでもっとも強大なものは、1928年に結成された国際石油カルテルであった。これはアメリカのニュージャージー・スタンダード石油、イギリスとオランダ合同のロイヤル・ダッチ・シェル、イギリスのアングロ・ペルシア石油によってつくられたもので、石油市場の分割、価格、生産量について協定を結び、その結果、莫大(ばくだい)な利益を獲得した。

 第二次世界大戦中は、国際カルテルのほとんどは一時機能を停止していたが、戦後になると国際カルテルはふたたび復活し、結成が進められた。そのなかでもっとも顕著な動きを示したものが国際石油カルテルであった。これは戦前のものを再編・復活させたもので、アメリカのニュージャージー・スタンダード石油、ガルフ石油、テキサコ、モービル石油、カリフォルニア・スタンダード石油(ソーカル)、イギリスとオランダ合同のロイヤル・ダッチ・シェル、イギリスのブリティッシュ・ペトロリアム(アングロ・ペルシア石油の後身)の七大石油会社(メジャー)で構成され、1952年には、この7社で、資本主義世界の石油埋蔵量の65%、原油生産高の55%、精油能力の57%を支配した。だが石油輸出国機構OPEC(オペック))が石油価格の自主決定権をもってから、国際石油カルテルの力は弱くなり、ソーカルがガルフ石油を合併(1984年シェブロンと改称)するなど、国際石油カルテル内での再編成も進められている。

 そのほか、国際海運カルテル、国際鉄鋼カルテル、国際電気カルテルなど、多くの国際カルテルが結成されているが、その内容を把握するのは非常に困難になっている。それは、第二次世界大戦後、主要先進国で独占禁止法が制定され、国際カルテルは一部を除いて非合法化されるとともに、国際連合やガット(世界貿易機関=WTOの前身)においても国際カルテルを規制したため、地下に潜行して「闇(やみ)カルテル」として活動するものが多くなっているからである。こうしたなかで、1967年にはヨーロッパ各国の染料メーカー10社による国際染料カルテルがヨーロッパ経済共同体(EEC。EC=ヨーロッパ共同体を経て現EU=ヨーロッパ連合)裁判所によって摘発され、1972年(昭和47)には、日本と当時の西ドイツの化繊メーカーによる市場分割等を協定した国際化合繊カルテルが西ドイツのカルテル庁によって摘発され、日本でも独占禁止法違反として廃棄させられた。

 また、第二次世界大戦後の国際カルテルの新しい動きとしては、独占企業の国際カルテルを規制する一方で、政府の公認によるもの、または政府が直接関与するものとして出現してきたことにある。前者の例としては国際航空運送協会(IATA(イアタ))などが、後者の例としてはヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)などがあげられる。そのほか1960年代以降になると、資源問題の激化のなかで、資源保有国で結成した国際資源カルテルが増えてきている。前出の石油輸出国機構をはじめとして、銅輸出国政府間協議会(CIPFC)、鉄鉱石輸出国連合(AIOEC)などがその代表的なものである。さらに、1980年代なかばごろから1990年代にかけて経済のグローバル化が進み、国境を超えて多国籍企業が価格などについて部分的に協定を結んでいるのは国際価格カルテルである。EUは2007年~2008年に公正な競争をゆがめるカルテルなどに厳格な姿勢を貫き、消費者のために巨額の制裁金を科している。EUの競争政策は加盟27か国でつくる単一市場を自由で平等な環境にするため、欧州委員会が国をまたいでカルテルなど独占禁止法の違反行為を取り締まっている。カルテルには世界全体の売上高の10%を上限に制裁金を科しており、1社当り数百億円に上った事例もある。

[清水嘉治]

『国際連合報告書、長谷川幸生・入江成雄・森田憲訳『国際カルテル』(1980・文真堂)』『アリス・タイコーヴァ、モーリス・レヴィ・ルボワイエほか編、浅野栄一ほか訳『歴史のなかの多国籍企業――国際事業活動の展開と世界経済』(1991・中央大学出版部)』『富田徹男著『市場競争から見た知的所有権』(1993・ダイヤモンド社)』『中川信義編『国際産業論』(1993・ミネルヴァ書房)』『米国連邦取引委員会著、諏訪良二訳『定本 国際石油カルテル――米国連邦取引委員会報告書』補正復刻版(1998・オイル・リポート社)』『村上政博著『アメリカ独占禁止法――アメリカ反トラスト法』(1999・弘文堂)』『村上政博著『EC競争法――EC独占禁止法』第2版(2001・弘文堂)』『松下満雄著『国際経済法』第3版(2001・有斐閣)』『松下満雄著『国際カルテル』(日経新書)』『村上勝敏著『世界石油年表』(2001・オイル・リポート社)』『伊藤裕人著『国際化学工業経営史研究』(2002・八朔社)』『伊従寛、山内惟介、ジョン・O・ヘイリーほか編『APEC諸国における競争政策と経済発展』(2002・中央大学出版部)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「国際カルテル」の意味・わかりやすい解説

国際カルテル
こくさいカルテル

国籍の異なる複数の事業者の間で結ばれるカルテル。国際カルテルに日本の事業者が参加することは,独占禁止法によって禁止されている (6条) 。日本の事業者が参加していない国際カルテルで,日本の市場に競争制限的効果が生じた場合に,日本の独占禁止法を外国の事業者に適用できるかについては管轄権などの手続上の障害がある。多国籍企業の規制とともにこの問題を解決するための努力が,現在国際間でなされている。

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