消費者の利益を確保するため、企業間の公正で自由な競争を促すルールを定めた法律。取引上の強い立場を利用し、相手に不利な条件を押し付けることを「優越的地位の乱用」として禁止している。不当な手段による競争相手の排除や、新規参入者への妨害を通じて市場を独占する行為なども規制の対象。公正取引委員会が調査権限を持ち、違反を認定した場合は是正に必要な排除措置命令を出したり、課徴金を課したりする。
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1947年,占領政策の一環としてなされた財閥解体等の経済民主化政策の成果を恒久的に日本に定着させるために,アメリカのアンチ・トラスト法(反トラスト法)を範にとって制定された法律。市場における公正で自由な競争を促進することにより,一般消費者の利益を確保し,同時に,国民経済の民主的で健全な発達を促進することを目的としている。正式名称は,〈私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律〉。独禁法と略称。
資本主義経済体制は,ヨーロッパにおける市民革命によって確立した個人主義と自由主義とに基づく市民法体系をその法的な基盤としている。市民法は〈見えざる手〉の予定調和を前提として,個人の利潤動機に基づく自由な経済活動が,国家の介入を受けずに,市場の非人為的な機能の下でなされるようにする法的基礎となるもので,社会が国家から相対的に独立した夜警国家の理念に基づくものであった。しかし19世紀の欧米諸国の資本主義発展の歴史が示したのは,事業者の自由の完全な放任が,カルテル等の人為的な市場の独占と消費者への不当な高価格をもたらしたり,非倫理的な競争手段によって形成された独占が社会のごく少数の者への富の偏在をもたらし,社会全体としての貧富の差を激化させるという現実であった。
この現実に対し,協調的なギルドの体質を歴史的に社会に内在させ,国内市場も狭小なヨーロッパ諸国では,繰返しおそった不況の対応策として国がむしろ積極的にカルテル等の独占を利用したこともあり,大勢としては,国家の手によって事業者に自由競争を行わせるための規制を加えるという政策は取られず,社会の主たる関心は,一定の限度で独占を容認しつつ,国家がその価格を監督したり,社会政策によって経済的な弱者を救済するという,経済社会への国家の介入を増大させる方向へ進んだ。
これに対し,アメリカにおいては,19世紀を通じて存在したフロンティアと広大な国内市場の存在とを背景に,自由競争が適切に行われさえすれば,個人の努力と才能に応じた成功の道がつねに開かれ,このような各人の自由な営為によって社会も進歩発展していくという,自由企業体制の理念が建国以来の伝統として定着していた。そのために,19世紀後半に激化したトラスト等による独占の進行に対して,国家がなんらかの対応をなすべきだという社会的な要求が強まったが,それは自由競争,自由企業体制を否定する国家の全面的な経済への介入を要求するものとはならず,あくまでも自由競争を前提にするものであった。このような社会的な要求が農民のグレンジャー運動等と結びつき,紆余曲折を経た後に,1890年にアメリカで最初の反トラスト法であるシャーマン法Sherman Actが成立した。同法は,政府が国民の経済的競争の手段・方法の審判者として限定的・消極的に経済活動に介入し,このような政府の監視の下で一定のルールにのっとった自由競争を行わせることを意図するものであった。その後,1914年にシャーマン法の不備を補うためにクレートン法Clayton Actと連邦取引委員会法Federal Trade Commission Actとが制定されることにより,日本の独占禁止法のモデルともなったアメリカのアンチ・トラスト法制が整った。
第2次大戦後,敗戦国たる日本や西ドイツが,アメリカの占領政策の下で独占禁止法制を有することとなったのをはじめとして,ヨーロッパの各国もアメリカの経済的・政治的な影響の下で,それぞれの国情にあわせて独占禁止法制を整備するようになった。現在では,自由主義経済体制をとる国のほとんどは独占禁止法制を整えており,OECDにおいても制限的商慣行委員会が設けられて,先進資本主義国間の競争政策,競争法制の調整を行っている。
1947年に制定された独占禁止法は,アメリカのニューディール政策にたずさわったいわゆるニュー・ディーラーたちが,アメリカで実現しえなかった理想的なアンチ・トラスト法を実験的に導入しようとしたもので,カルテルの絶対的禁止や事業能力の不当な格差の存在のみで営業の譲渡を命じうるなどの厳しい,ある意味では非現実的な内容を有するものであった。1949年に一度小改正を施された後に,53年にはアメリカの対日政策の変更を受けて,日本の経済の実態にあわせて47年法を大幅に緩和する大改正が行われた。この改正によって,それまで独立の法律であった事業者団体法が廃止されて独占禁止法8条に統合され,事業能力の格差に基づく排除措置の規定は削除され,合理化カルテルや不況カルテル等の適用除外制度が設けられた(カルテル法)。その後,昭和30年代の高度成長期には,多くの個別適用除外立法が制定されるなど,独占禁止法の運用は必ずしも活発にはなされなくなった。昭和40年代に入って,物価問題が重要な政策課題として認識されるにつれて,独占禁止法の運用も徐々に活発になり,1973年の第1次石油危機を契機にした企業批判のたかまりの中で,77年に独占禁止法の歴史上初めての強化改正が行われ,市場構造にウェイトをおく企業分割規定である,〈独占的状態に対する措置〉の制度や,カルテルに対する課徴金の制度,大規模会社の株式保有総額の規制,同調的値上げの届出制度等々が新設された。
1990年代に入り財政赤字の拡大が深刻化し,その対応策としての行政改革が大きな政治課題となった。従来の経済的規制の多くを撤廃し,許認可行政権の縮小による小さな政府の実現を目ざす行財政改革は,日本経済の公正の達成を政府の主導によるのではなく,市場への自由な参入と自由な競争によって行うという市場理念の再確認と,その理念の日本社会への実質的な定着を目指すものであり,この方面からの独禁法の運用の改善,法改正も90年代後半の特徴として指摘される。
このような一連の独禁法の改正の動きの主要なものは,課徴金額の算定方法の変更による増額(1991),法人に対する罰金の増額(1992),適用除外カルテル制度の原則廃止に向けての見直し(1996,1997),公正取引委員会の組織強化の改正(1996),持株会社の全面禁止から原則自由への変更等(1997)である。
独占禁止法の目的は,冒頭に述べたように,公正かつ自由な競争を促進することによって消費者の利益を確保するとともに国民経済の民主的で健全な発展を促進することである。この目的を達成するために,同法は,実体的規定として,一定の取引分野における競争の実質的制限(市場集中)を防止し是正するための諸規定と,市場における集中に限定せずに広く経済力の集中を防止する(一般集中の防止)ための諸規定とをもつ。このほかに同法は,その運用主体である公正取引委員会の組織を定め,公正取引委員会による法の適用手続を定めている。
市場集中の防止に関する諸規定は,独占禁止法の中心をなすもので,事業者と事業者団体に対して(8条に事業者団体の禁止行為がまとめて列挙されている),〈不当な取引制限〉(3条),私的独占(3条),一定の取引分野における競争を実質的に制限することとなる株式保有(10,14条),役員の兼任(13条),合併(15条),営業の譲受(16条)と,〈不公正な取引方法〉に該当する行為(19条)をなすことを禁ずるものからなる。同法の違反行為がある場合には,公正取引委員会が事前の審判手続を経て決定する排除措置を命じうるほか,3条違反行為を中心とするいくつかの行為には刑事罰が科されることもある(89条等)。
〈不公正な取引方法〉に関する規定は,放置しておけば私的独占や〈不当な取引制限〉に発展するであろう行為をとらえ,それを早いうちに規制することを意図するものである。これは合併等の規制が,具体的に市場集中が発生する前にこれを未然に防止することを目的とするのと同様の,予防的な規定としての性格を持つ。またすでに述べたように,1977年の改正によって,事業者の行為よりは,現に成立している市場の構造に着目して,一定の市場構造の下で事業者の非競争的な経済成果が見られるときに,公正取引委員会がその営業の一部の譲渡等を命じうる,〈独占的状態に対する措置〉の規定(8条の4)が導入されている。なお,〈不当な取引制限〉の禁止を補完するために,カルテルによって事業者が得た不当な利益を一定の方法によって算定し,その国庫への納入を命ずる課徴金の制度(7条の2,8条の3)も,77年改正で新たに設けられた。
経済力の集中に関する規定は,戦前の財閥による経済支配と占領政策によるその解体という日本固有の歴史に由来する,持株会社の絶対的な禁止(9条),77年改正で導入された,総合商社の株式保有の制限を目的とする大規模会社の株式保有総額の制限(9条の2),金融会社による経済支配の防止を目的とする株式保有の制限(10条)が主たるもので,ほかに,〈不公正な取引方法〉の中の優越的地位の濫用に関する規定(一般指定13項)を経済力の集中規制の中に含めて理解する説もある。
しかし,1990年代中葉以降,日本社会の規制緩和の動きの中で,制定後50年間の日本社会の構造変化,とりわけ即時的な情報通信の手段の普及による各国市場の世界的一体化,各種の流通手段の改善による物流や人の移動の速度と規模の質的な変化等々の条件を前提にして,持株会社の設立の自由化を求める動きが強まり,97年の法改正で,持株会社の設立は原則自由化されることとなった。
社会に発生する経済問題のすべてが競争的な解決になじむものではない以上,競争政策の当然の限界として,ないしは本来競争政策が妥当するにもかかわらず,他の経済政策上の考慮によって独占禁止法の適用が除外される場合がある。独占禁止法はみずからの法体系の中に自然独占に固有の行為(21条),事業法令に基づく正当な行為(22条),無体財産権の行使(23条),一定の組合の行為(24条),公正取引委員会の指定を受けた再販売価格維持行為(24条の2),不況カルテル(24条の3),合理化カルテル(24条の4)をそれぞれ適用除外として定め,22条を受けて〈私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律の適用除外に関する法律〉(1947公布)を定めている。この中で,21~24条は独占禁止法の制定当初からある規定で,競争政策の本来の限界に基づく適用除外として理解されており,立法の当初はこの法律(私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律の適用除外等に関する法律)以外には,個別の立法として適用除外を定める法律がその後も定められることはないと考えられていた。この意味で独占禁止法は,まさに,将来の日本の経済政策立法の規範となる経済憲法たることが予定されていたのである。しかし24条の2~24条の4が1953年の改正のときに導入されたことをきっかけとして,他の政策的な必要性から,本来競争政策が妥当する場合ないしは領域であるにもかかわらず,競争原理を停止する適用除外が出現してきた。日本の経済が高度成長段階に入った昭和30年代には,個々の産業政策上の必要から,個別法において独占禁止法の適用除外を定める規定を置くものが増加し,このような実態について,独占禁止法が法形式上はカルテルの原則禁止主義をとりつつ,その実,ヨーロッパの諸国と同様のカルテル弊害規制主義に近づいているとの評価もなされた。しかし昭和40年代後半以降は,日本の経済が安定的低成長期に入り,物価問題が深刻化したこともあって,カルテルの適用除外法の見直しが進められ,その数は縮小した。
昭和50年代になって,第2次石油危機以後適用除外に関して問題となったのは,アルミニウム,石油化学等の構造的な不況産業において,産業構造の改善を図るための事業者の共同行為等を独占禁止法の適用除外等とする特定不況産業安定臨時措置法(1978公布)とその後継法である特定産業構造改善臨時措置法(1983公布)の制定である。おりしも諸外国が日本の欧米諸国に対する輸出超過を問題として,日本の産業政策に対する批判を強めていた中で,OECDの特別グループの報告書が,国際的な競争の公正といった観点から各国の産業政策の調整をなすために,積極的産業調整政策positive adjustment policy(PAP)をあるべき産業政策として評価し,衰退産業に対する保護政策には厳しい基準を当てはめるべきだとする見解を公表したこともあり,これらの法律の制定が過度の,外国事業者に不利な国内事業者の保護になりうるとして,内外に大きな議論を呼んだ。いずれにしても今日では,適用除外を含めた独占禁止法制全体の運用について,国際間の競争の影響を無視しえなくなっている。国際的問題に関しては,独占禁止法6条に特定の国際的協定または契約の禁止と届出義務の定めがある。
このほかに,独占禁止法は1977年の改正の際に,同調的値上げの報告義務(18条の2)の規定を設けた。これは,伝統的な競争政策の枠からは説明が困難な,物価抑制の政策手段としての性格を色濃く有する規定である。また独占禁止法違反行為による損害を受けた者は,審決の確定後,加害者に対して無過失損害賠償責任を追及しうるものとされており(25条),訴訟例もいくつかあるが,原告にとって因果関係の立証が困難であるため,損害賠償を勝ち取るのは非常に難しい状況となっている。
石油危機後,一方で独占禁止法を強化し,他方で構造改善のために適用除外制度を新設する動きが見られたが,日本の貿易黒字が増大し,財政赤字解消のために行政改革が大きな政治課題となる1980年代以降は,独占禁止法の適用除外の見直しが急ピッチで進み,1996年から97年にかけて,従来の適用除外立法を原則的に廃止する方向での立法作業が進められた。現在では,独禁法以外の個別立法で適用除外カルテル制度が残されたものは,中小企業の保護関係を中心に非常に少数になり,法制度的にも市場における競争中心の体系が取られるようになった。
以上見てきたように,現在の独占禁止法はさまざまな政策的考慮の中で,単に競争政策を実施する法手段という以上の,多様な性格の法に変容しつつあるといってもよい。しかし,伝統的な競争政策の枠組みの中においても,独占禁止法が実現すべきは競争の効率性か多数の競争者の存在という状態かという点での理解が対立していることもあり,経済政策の法である独占禁止法は,その時代の社会的な要請との関係で,ときに,経済的な弱者保護を主眼にした運用がなされたり,ときには逆に,効率を重視する運用がなされることとなるのは避けられず,ある幅でゆれ動く宿命の下にあるといえよう。
→独占
執筆者:来生 新
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
1947年(昭和22)、GHQ(連合国最高司令官総司令部)による占領政策の一環としてアメリカ反トラスト法を手本として制定された法律。正式名称は「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律」(昭和22年法律第54号)。独占禁止法と呼称されることが一般的で、独禁法と略称されることもある。執行機関は公正取引委員会(公取委)。事業者間の公正な競争を確保することにより、国民経済の民主的で健全な発達、および消費者の利益確保を目的としており、経済法分野における中心的役割を担う法律である。
[金津 謙 2016年1月19日]
独禁法は、事業者・事業者団体、役員・従業員など違法行為の実行役を適用対象とし、私的独占、不当な取引制限、不公正な取引方法の3類型を禁止するとともに(独禁法の3本の柱)、これら禁止行為を抑制するためのさまざまな補完規定から構成される。
第一の柱は、私的独占の禁止である。単なる独占ではなく「私的」独占としたのは、当時法律で認めていた独占(公的独占)と区別する必要があったためで、企業の所有形態を表すものではない。私的独占とは、市場支配力を獲得することに成功した事業者が、不当に他の事業者の事業活動を支配(支配型私的独占)、もしくは市場から排除(排除型私的独占)するような場合である。単に事業者が市場での競争に勝利し、その規模を拡大した結果、競争者が排除されるような場合ではなく、獲得した市場支配力を悪用し、市場における事業者間の公正な競争を阻害することを禁止しているのである。また、同様に企業間の合併、経営統合、持株会社、役員の兼任なども事業支配力の集中度が高まることで、事業者間の競争が阻害されるおそれが生じることから、規制の対象としている。さらに、市場支配率が1社で50%を超えるような独占的状態にある場合、競争回復のため、公取委により事業の一部譲渡が命ぜられる旨の規定がある。
第二の柱は、不当な取引制限の禁止である。一般にはカルテル、入札談合と呼称されることがきわめて多い。カルテルは競争関係にある複数事業者間において交わされる競争停止契約である。たとえば価格カルテルの場合、それまでさまざまな価格で販売されていた商品が、事業者間の合意により、価格メカニズムを無視した横並びの価格となってしまうのである。公共工事などで行われる入札談合も同様である。国民経済に対して与える影響が強いことから厳格な規制が行われている。
第三の柱は、不公正な取引方法の禁止である。私的独占、不当な取引制限が事業者の市場支配力を形成し、維持・強化することを目的としているのに対して、不公正な取引方法は、公正な競争を阻害するおそれのある行為を規制することにより、市場支配力の形成を未然に防止することに重点をおいた予防的規定といえる。不公正な取引方法に該当する行為には、共同の取引拒絶、差別対価、不当廉売、再販売価格の拘束、優越的地位の濫用が規定されている。さらに、公取委による指定制度が導入されており、公取委が公正な競争を阻害するおそれのある行為を指定し、不当廉売、欺瞞(ぎまん)的顧客誘引、抱き合わせ販売などが規制対象とされている(一般指定)。そのほか、特定の業界のみが対象となる行為として、大規模小売業者が行う不公正な取引方法、特定荷主が行う不公正な取引方法、および新聞業界の不公正な取引方法を指定している(特殊指定)。また2000年(平成12)改正で、不公正な取引方法により損害を受けるかもしくは受けるおそれがある場合、裁判所に対してその侵害行為の停止、もしくは予防を請求することが可能となっている(差止請求)。
[金津 謙 2016年1月19日]
違反行為に対する制裁は、主として行政罰である課徴金、刑事罰として罰金刑と懲役刑が規定される。課徴金はその対象行為と算定率が拡大し、現在では私的独占、不当な取引制限、国際協定・契約、事業者団体の行為、不公正な取引方法の一部が対象となる。また、課徴金額は行政機関である公取委の裁量を排除する目的から、違法行為実施期間の売上額に一定の算定率を乗じた金額となっている。2005年改正により、事業者が自ら関与した入札談合やカルテルの事実を公取委へ申告することにより制裁措置が減免される課徴金減免制度が導入された。刑事罰については、公取委より検事総長への刑事告発依頼を待って、訴追が行われる。たとえば私的独占、不当な取引制限、事業者団体の競争制限行為に対しては、5年以下の懲役もしくは500万円以下の罰金、および法人に対しては5億円以下の罰金が科されるという重い刑罰が規定されている。しかし、刑事告発された件数は2015年時点で20件程度であり、公取委が摘発した違反事件のごく一部に限定されている。
[金津 謙 2016年1月19日]
日本は戦後GHQによる占領を受けるが、独禁法はその対日占領政策、「経済の民主化」を実現する目的から制定された法律である。GHQは戦前の持株会社方式による財閥支配型の経済体制が、日本を戦争に導く一因となったと考え、1945年11月、持株会社整理委員会を設立し財閥を解体。1947年過度経済力集中排除法(昭和22年法律第207号)により、市場支配力をもつ企業を分割した。独占禁止法は、ふたたび戦前の経済体制に戻ることのないよう、自由主義・資本主義経済体制を維持する役割を担うこととなる。
[金津 謙 2016年1月19日]
制定当初の独禁法は、持株会社の設立・転化禁止、事業会社の株式保有の原則禁止、合併は認可制とし、きわめて限定的な場合のみ認めるなど、厳格な規定を設けていたが、1949年改正、1953年改正により大幅な規制の緩和が行われた。その後、独禁法政策は低迷し、昭和40年代には、過度経済力集中排除法により分割された企業の再合併などが急増する。しかし、1977年改正は、オイル・ショックによる物価高、さらに石油闇(やみ)カルテル事件などにより、国民による規制強化の声が高まったことから、課徴金制度の導入、独占的状態の規制など、規制が強化された。1997年(平成9)改正で持株会社制度が解禁されるが、その後も厳格化の改正は続く。2005年改正により、課徴金算定率の引上げ、課徴金減免制度の導入、違反行為への迅速対応を可能とする審判手続の見直しが行われ、さらに公取委に令状に基づく強制捜査を認める犯則調査権限が導入されている。2009年改正では、課徴金の対象行為が拡大され、課徴金減免制度の多様化、カルテルに対する懲役刑の厳罰化が行われた。
このような独禁法厳格化の一方で、2013年改正では、公取委の象徴的な権限である審判制度が廃止された。それまで、公取委の下した排除措置・課徴金納付命令に不服である場合、公取委に不服申立てを行うこと(審判制度)が定められていたが、処分庁に対して不服申立てをすることに対しての経済界からの不満の声にこたえたものである。
[金津 謙 2016年1月19日]
『谷原修身著『新版 独占禁止法要論』第3版(2011・中央経済社)』▽『土田和博・栗田誠・東條吉純・武田邦宣著『条文から学ぶ独占禁止法』(2014・有斐閣)』▽『久保成史・田中裕明著『独占禁止法講義』第3版(2014・中央経済社)』
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トラスト結成やいっさいのカルテル行為を禁じた「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律」。占領期間中の1947年(昭和22)4月14日公布。財閥解体直後,GHQの指示により制定された。国際カルテルへの加入,競争会社の役員の兼務,持株会社を禁止。しかし,49年と53年の改正で,不況カルテルや合理化カルテルは適用除外となり,競争会社の株式保有禁止や保有限度の緩和など,実質的に骨抜きとなった。73年秋の石油危機下で大企業の不当な取引制限が暴露され,77年5月に企業分割措置,違法カルテル課徴金,株式保有制限強化などで強化・改正された。97年(平成9)経済構造の変化にともない持株会社は原則的に解禁となった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…反トラスト法ともいい,アメリカの独占禁止法制のことである。アメリカの独占禁止法が〈反トラスト法〉とよばれるに至ったことについては,歴史的理由がある。…
…しかし,このような手段は,ある意味で競争的自由企業経済体制の不可欠の前提である私的所有制度の中枢を変革するものであり,容易には実現しえない。日本の独占禁止法は,他に例を見ない〈独占的状態に対する措置〉の規定(2条7項,8条の4)を有し,一定の市場成果の存在を前提にして,寡占的市場構造下の大企業の分割を命じうるものとなっている。しかしその性質上,この規定の運用は非常に困難とされ,現実の寡占規制としては,むしろ寡占企業のカルテル類似行為を厳しく規制することが有効と考えられている。…
…第2次大戦以前の日本においては,後述するように,1925年の輸出組合法以来のカルテル法の歴史があった。しかし戦後の占領政策の中心に日本経済の民主化方針がすえられ,その一環として独占禁止法が制定されたため,法体系中におけるカルテル法の意義,位置づけに根本的な変革が加えられた。まず47年制定当初の独占禁止法は,カルテルの原則禁止という厳格な競争政策に依拠するものであったため,戦前・戦中のカルテル法はすべて廃止された。…
…なおこのほかに特定の市場における集中度の増大ではなく,一般的な経済力の増大を目的とする結合もあり,民主政治の確保といった観点等から,この種の結合に規制が加えられる例も多い。 日本の独占禁止法も,母法たるアメリカのアンチ・トラスト法の考えを引き継いで,カルテル,私的独占,市場集中を実現する合併,営業の譲受け,役員兼任,株式保有を禁止し,取引段階を異にする企業間の結合も,不当な拘束条件付取引と判断される場合にはこれを禁じている。なお日本独自の企業結合規制として,一般集中防止のために,持株会社の全面禁止と大規模会社の株式保有の総量規制の制度があった。…
…日本においても,第2次大戦終了後,アメリカの反トラスト政策の影響を強く受けた占領政策の一環として,財閥解体と過度経済力集中排除法による企業分割がなされた。その後,1947年に制定された独占禁止法は,53年改正によって削除されるまで,不当な事業能力の格差がある場合に公正取引委員会が営業施設の譲渡を命ずる企業分割規定を置いていた。この規定は結局一度も適用されることなく終わったが,石油危機を契機とする77年の独占禁止法改正は,独占的状態に対する措置の規定を新設し,法定の規模を超える巨大企業が悪しき市場成果を示している場合に,公正取引委員会が営業の一部の譲渡を命ずることができることとし,企業分割規定を復活させた。…
…さらに製品分化がある寡占や独占的競争市場では,品質の選択や情報提供のための広告費の増減による非価格競争や新技術導入のための競争が行われることも特色である。【川又 邦雄】
[企業間競争の法的規制]
日本の現行法の中で,直接に企業間競争にかかわる規制をなすことを目的とする代表的な法律に,独占禁止法や不正競争防止法がある。不正競争防止法は,営業者が自己の広く知られた氏名,商号,商品等を他人によって用いられ,営業上の利益を害されることを差止めによって防ぐことを目的とするもので,一般に,商業道徳ないしは商業倫理の観点から利潤獲得の手段としての競争をとらえ,同業者間の利害を調整するための法と解されている。…
…第2次大戦後,日本は占領下におかれ,この期間にアメリカの強い影響下に,経済民主化政策が行われ,日本経済を自由主義に基づいて再建することとなった。その基本法として独占禁止法が制定されたが,それ以来,日本の経済法の中心は独占禁止法にあるとされるようになった。 このように,経済法の概念は,第1次大戦ごろに形成されて以来,その内容は時代によって若干移り変わってきているが,その中心となる核としては,国家の経済ないし企業活動への経済政策的関与ないし介入をあげることができる。…
…1948年に制定された事業者団体法によって創始された用語であり,アメリカのトレード・アソシエーションtrade associationに相当する。独占禁止法(1953年の改正の際,事業者団体法を吸収した)によれば,事業者団体とは,(1)主たる目的は事業者としての共通の利益の増進,(2)二つ以上の事業者の結合体,またはその連合体,(3)資本または構成事業者の出資を有しない,(4)営利を目的とする事業を営まない,の要件を充足するものをいう。事業者団体は,構成員の産業の種別により二つに大別できる。…
…今日ではほぼ3種類の独占対策が講じられている。その第1は,規模の経済性が市場経済の機能を妨げない産業分野に,カルテルやトラスト,不公正な取引方法などを禁じた独占禁止法を適用することである。独占禁止法制には各国でかなりの差異があるが,1970年代には発展途上国でも独占禁止法制定の動きがあった。…
…独占禁止法が禁止する行為類型の一つ。競争的な市場では,売手と買手との間で,互いに,他の売手を排し他の買手を排して,取引の相手方を確保するためのさまざまな試みがなされる。…
※「独占禁止法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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