日本大百科全書(ニッポニカ) 「国際査察制度」の意味・わかりやすい解説
国際査察制度
こくさいささつせいど
国際的な取決め(条約など)の遵守を証拠をもって確認することを検証verificationといい、査察inspectionはその証拠を収集する中心的な方法である。統一的な権力が制度化(たとえば世界政府など)されていない国際社会には、国内の警察制度のような統一的な査察制度があるわけではない。査察など履行確保の方法は条約ごとに条約のなかで定められ多様であって、国際査察制度はそれらの総称である。冷戦期のように不信感が強い時代には、査察は軍縮・軍備管理交渉の重要問題であった。たとえば部分的核実験禁止条約(PTBT、1963年)は地下実験を禁止対象から除外したが、これはアメリカの主張する適当な回数の査察をソ連が認めなかったからであった。アメリカは義務の履行を確認できない規則はつくっても無意味として、一貫して各種軍縮交渉で査察を重視した。他方ソ連は秘密主義的な閉鎖体制を維持する必要から、査察は主権侵害のスパイ行為として頑強に反対した。このため査察は条約ができるかどうかを左右する重大問題であった。不信感を和らげるために軍備管理が求められるが、逆に不信ゆえに査察が受け入れられず意味のある条約がつくれない、という悪循環に陥っていた。
査察を含む検証メカニズムは、一般的には当事国間の信頼関係(不信感がどの程度か)、問題の内容(他国の不履行が死活的な問題か)、条約の形態(二国間か、多国間か)などにより異なる。不信感が強い冷戦期に、死活的に重要な核戦力問題を扱った二国間条約の典型は、アメリカとソ連の戦略兵器制限交渉(SALT)にみられる。戦略攻撃兵器制限暫定協定、対弾道ミサイル(ABM)制限条約(1972)は現地査察を認めず、「自国が保有する国内的な技術手段(NTM)」による検証とそれに対する不妨害のみを規定した。NTMは航空機、偵察衛星による偵察画像、レーダー、赤外線検知、無線傍受などで行われるが、現地査察が認められない時代には偵察衛星による監視・査察技術が、条約自体を可能にしたといってよい。ただ二国間の相互主義的な条約では、一方の不履行は他方の条約脱退を招く可能性があり、双方が条約の消滅まで望まない限りそれが不履行を抑止し一定の拘束力を担保する。二国間条約では、査察は遵守確保の補完的メカニズムである。しかし不信感が緩和すれば、査察は容認されやすくなる。冷戦終結の時期にできた米ソ間の中距離核戦力全廃条約(INF、1987年)は、SALT以来のNTMに加えて、当初の申告データ、ミサイル基地などの施設閉鎖、報告データ(直前通告の査察を含む)、ミサイルの生産施設の出口・入口監視、現地での廃棄などについて逐一査察による確認が規定された。続くアメリカとソ連(ロシア)の戦略兵器削減条約(START-Ⅰ、1991年、発効は1994年)も、INF条約の現地査察など検証規定を踏襲した。兵器の全廃や実質的な削減の取決めであるだけに厳密な検証が必要になったが、それはまたすでに緊張が緩和していたから可能になったことでもあった。
他方、大量破壊兵器の不拡散といった国際社会全体の一般利益の実現を目ざす多国間条約の場合、一国が履行しなくても条約がなくなるおそれはないので、そのため裏切りやただ乗りの問題が生じやすく、モラルハザードから条約が有名無実になりかねない。このため査察、不履行の公表、制裁、履行状況の定期的な検討などを含む履行確保の独自メカニズムが工夫される。初期には疑惑が生じた場合の「協議」を規定するものが多かったが(宇宙条約1967年、海底核兵器禁止条約1971年、月協定1979年など)、南極条約(1959)、国際原子力機関(IAEA)憲章は査察の権限を規定するものであった。地域的な多国間条約であるラテンアメリカ核兵器禁止条約(1967)は、裏切りが重大な意味をもつためIAEAによる通常の査察のほかに、疑念をもつ締約国の要請に基づくIAEAや同条約理事会による特別査察を規定している(16条)。核不拡散条約(1968)は、このIAEAを条約の検証機関とする。加盟する非核兵器国はIAEAとの間に保障措置協定(モデル協定INFCIRC/153)を結ぶ義務があり(3条)、この協定でIAEA査察員による査察の種類、範囲、回数などが定められる。冷戦後、保障措置下にあったイラクの核開発が発覚し、また北朝鮮の核開発疑惑にも十分に対処できなかったことから、IAEAは検証体制の強化を検討し、1997年5月に新たなモデル議定書(INFCIRC/540)を採択した。これに基づく保障措置協定を締結した国に対しては、IAEAは査察対象を核物質を直接扱っていない未申告の原子力関連機器、生産施設、研究開発施設に拡大し、緊急の場合には直前通告による抜き打ち査察もできるようになる。これは履行の確認というより、義務違反の防止、抑止がねらいである。
同じように化学兵器禁止条約(CWC、1993年)も独自の検証機関「化学兵器禁止機関(OPCW)」をもつが、この場合は核兵器と異なり禁止対象化学物質の種類が多いうえに、対象が各国の軍事部門のほか民間の産業をも含むため、査察はいっそう内政干渉的になっている。保有国の申告に基づいて技術事務局の査察員が冒頭査察を行い、以後の廃棄過程は査察員と機器による監視で確認される。産業検証では、化学産業が4種類の化学物質ごとに生産量などを年次申告し、これに基づいて物質の危険度に応じて異なる検証・査察を受ける。この条約は、違反の疑念を抱く締約国の申立てによる、画期的な抜き打ち査察を規定した。包括的核実験禁止条約(CTBT、1996年、未発効)の独自検証機関としてのCTBT機構(CTBTO)は、OPCWをモデルとしてその基本構造がつくられた。CTBT機構の技術委員会が、およそ1キロトン以上の核爆発をほぼ確実に探知できる地震波、放射性物質、微気圧変動、海中音響の四つの観測方式によるグローバルな国際監視制度(IMS)を構築し、この監視により条約違反の疑惑が生じた場合には、締約国の要請により専門査察員による現地査察が行われる。地域的条約であるが、多国間のヨーロッパ通常戦力条約(CFE、1990年。CFE適合条約、1999年、未発効)にも、条約締結時、および削減の各段階における兵器数の情報交換と現地査察、疑惑が生じた場合の抜き打ち査察、衛星による偵察、疑惑がある場合の合同協議グループの設置規定がみられる。
国際的な取決めの履行の流れは、一般的に(1)禁止・規制対象物・事項・活動などの定義、(2)締約国によるその有無の申告、(3)その停止・放棄・廃棄などの通告、(4)以後の該当する活動(生産や配備など)の停止、(5)検証をめぐる協議と不履行の是正、(6)是正が確認されない場合の制裁(国連安全保障理事会の強制措置との連携など)、(7)条約全体の運用状況の点検・公開(検討運用会議)、に整理される。査察は(2)~(6)のすべての段階を確認する中心的な方法である。相互依存の深化に伴い、国際社会の一般利益が認識されるに伴って多国間条約が多くなり、また実質的な兵器、戦力の廃棄や削減が取り決められるようになった。それに応じ内政干渉的な査察を含む、独自の検証機関が設立されるなど、検証は強化される傾向にある。査察は、従来のような不履行の摘発以上に、国際社会に対して全般的な条約遵守(一般利益の確保)状況を保障するという性格が強くなった。
[納家政嗣]