デジタル大辞泉 「核不拡散条約」の意味・読み・例文・類語
かくふかくさん‐じょうやく〔カクフクワクサンデウヤク〕【核不拡散条約】
[補説]保有を認められた5か国以外にも、未加盟のイスラエル・パキスタン・インドや、2003年に脱退した北朝鮮が核兵器を保有している。
核拡散防止条約とも呼ばれる。正式には〈核兵器の不拡散に関する条約Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons〉といい,NPTと略称される。核兵器国(核兵器保有国)が非核兵器国(核兵器非保有国)に核兵器とその材料,技術などを提供・援助することを禁じ,非核兵器国が核兵器を開発,製造,保有せず,また核兵器国からそのための支援を受けることを防止しようとした条約。原子力平和利用に伴う諸問題の国際管理,核実験の規制,核兵器禁止地域の設置なども間接的に核不拡散の効果をもつ。
1963年に米ソが中心となってつくった部分的核実験禁止条約(PTBT)が,間接的ながら核不拡散の効果をもつ最初の条約であった。その後,1964,65年ころから,米ソはPTBT締結後の重要課題として核不拡散の問題に一層注目し始めた。その背景には,(1)フランスに続いて中国の核実験が迫り(1964年10月実施),その後の西ドイツや日本への核拡散が懸念されたこと,(2)原子力発電が実用化時代を迎え,軽水炉と濃縮ウランの独占的供給国であるアメリカは,国際原子力市場の成長に伴う〈潜在的〉核兵器国増加問題の解決を迫られていたこと,などがあった。65年から米ソが交渉に入り,67年に条約草案をほぼ完成したあと,非核兵器国の要求に基づく若干の草案改訂を経て,68年6月12日,核不拡散条約の推奨決議が国連本会議で採択された。
この条約はアメリカ,ソ連,イギリス,フランス,中国を核兵器国と指定し,第1条でこれらの諸国は非核兵器国に核兵器とその管理を渡さず,核兵器製造を援助しない,第2条で非核兵器国はそれらを受けとらず,自ら製造せず,核兵器製造の援助を受けない,第3条で平和利用の原子力が軍事転用されないことを確実にするため,各国はそれを国際原子力機関(IAEA)の保障措置体制の下におくこと,などを規定している。第1条の事態は現実には考えにくいので,結局この条約は非核兵器国の義務のみを一方的に定めて,先の部分的核実験停止条約の核兵器国の増加防止という狙いを一層明確かつ完全にした条約といえる。冷戦期における米ソによる平和維持体制の法的,制度的枠組みという性格がきわめて強かった。核不拡散体制の中心をなす取決めではあるが,フランス,中国はこの米ソ本位の性格を嫌って,またそのほかにも安全保障や国家威信上の懸念から,アルゼンチン,ブラジル,インド,イスラエル,スペイン,南アフリカ共和国など,地域大国を含む多くの諸国が長い間加盟しなかった。日本は1970年2月に署名し,76年に批准した。
条約は,70年3月に発効したが,そのころから問題は相当に変質し始めた。NPT交渉開始のころに懸念された先進工業国への核拡散は生じなかったが,第三世界への核拡散の可能性が出てきたのである。そして,74年5月インドが原子力発電の燃料から製造したプルトニウムを使って行った核爆発実験は,平和利用計画の中で核兵器開発が可能であることを実証し,国際社会に大きな衝撃を与えたのである。このような情勢下で,アメリカはとりわけ核拡散に結びつきやすいウラン濃縮,使用済み燃料再処理の施設,またプルトニウムを燃料とする原子炉の開発・普及を規制する方向に動きだした。輸出規制の国内立法(〈1978年不拡散法〉に集成された)と,75年4月以降の供給国グループ会議,77年10月~82年2月の国際核燃料サイクル評価会議(INFCE)などによる国際協力の推進がそれである。
こうした核兵器国,供給国の動きに対して,第三世界の非核兵器国はNPT再検討会議(第1回1975年,第2回80年,第3回85年,第4回90年)の場などで,(1)核兵器国の核軍縮(垂直的核拡散防止)の遅れ,(2)供給国の輸出条件がNPTの規定をこえている,などの点にとくに強い不満を表明し,輸出規制を強化する核兵器国,供給国と対立を続けた。
核兵器の拡散をめぐる情勢は,冷戦が終結する過程で再び大きく変化した。東西両陣営間の敵対関係の緩和に伴って核軍縮が急進展し,それが核不拡散体制の強化や長年の懸案であった核実験禁止,さらに非核地帯(核兵器禁止地域)設置など,その他の軍備規制措置の実行に好影響を及ぼしたのである。米ソ(ロシア)は1987年に中距離核戦力(INF)全廃条約に調印したのを皮切りに,91年に第1次戦略兵器削減条約(START I,発効は1994年),さらに両国の戦略核戦力をピーク時の1/3にまで削減する第2次条約に調印した(1993年。97年10月現在未発効)。このような変化を背景にそれまで米ソ支配体制を嫌って加盟していなかったフランス,中国がNPT加盟に踏み切った。また冷戦終結過程で民主化や市場経済化という国内変動を経験したアルゼンチン,ブラジル,南アフリカ共和国など長い間核拡散が懸念されてきた地域大国も相次いでNPTに加盟し,不拡散体制が急速に強化されていったのである。NPTは1995年に発効後25年を経て有効期間の満了を迎えたが,同年4~5月に同条約の延長問題を検討する再検討・延長会議が開催され,〈無投票〉で無期限に延長された。96年3月現在加盟国は183ヵ国に達し,NPT未加盟の主要な拡散懸念国はほぼ,イスラエル,インド,パキスタンが残るだけとなった(その後1998年5月,インドが地下核実験を行い,同月末これに対抗してパキスタンは初の核実験を実施した)。しかし他方ではイラクや北朝鮮など条約に加盟しながら核開発を行ったり,その疑惑をもたれる国の問題が新たに生じている。これに対して国際原子力機関(IAEA)は1993年より検証体制の強化を検討し(〈93プラス2計画〉),現行法で可能なことは実施に移され,新たな権限が必要な措置については97年5月に新たな議定書を採択した。これによりIAEAは査察対象を核物質を扱っていない未申告の原子力関連機器・施設や研究開発施設,関連地域にまで拡大し,緊急の場合には2時間前の通告による査察も可能となり,また核施設周辺の環境モニタリング制度も導入された。
翌年のジュネーブの軍縮会議はPTBT以来の懸案であった地下実験の禁止を含むCTBTを最優先議題とし,条約案を起草した。ただし,ここでは核開発の選択肢を残したいインドの反対で条約案を採択できなかった。その後同条約案は国連総会に持ち込まれ,そこで1996年9月10日に圧倒的多数の支持を得て決議として採択された。同条約に反対のインドの批准が発効条件に入っているため,発効の見通しは立っていないが,PTBT以来32年目にして全面的な実験禁止条約ができたことは軍縮規範の発展として,また核不拡散の補完的措置として重要な意義をもっている。
地域的核拡散防止の措置として,核兵器禁止地域(NWFZ)の設置がある。これは,同地域内の諸国が核兵器を製造・保有せず,核兵器国は同地域に核兵器を持ち込まず,使用しないことを主内容とする。1967年3月にラテン・アメリカに最初のNWFZを設置する条約(トラテロルコ条約)が調印された。
しかし1970年代にはトラテロルコ条約に続くNWFZは実現しなかった。国連においてNWFZの包括的研究が行われ,中東,南アジアについてはNWFZ案が国連総会などに提案され,この種の措置に対する期待は大いに高まったが,これらの地域では域内国間の対立が厳しかったからであった。それでもNWFZの考え方は着実に広がりを見せていった。85年8月,南太平洋フォーラム(SPF)加盟の15ヵ国は南太平洋非核地帯条約(通称,ラロトンガ条約)を採択した(1986年12月発効)。これは域内の核拡散を懸念するというよりは,米英仏の核実験,さらには原子力発電から生じる放射線廃棄物の海洋投棄に対する不安から生まれたものであった。
この条約が先駆けとなり,10年後の1995年にはさらに二つのNWFZが実現した。一つはアフリカ統一機構(OAU)が95年6月に採択したアフリカ非核地帯条約(通称,ペリンダバ条約)である。長い間核兵器開発の疑惑が持たれてきた南アフリカ共和国が,製造した核兵器を廃棄し1991年核不拡散条約(NPT)に加盟したことを受けて実現したものであった。この条約は,通常の核兵器の開発・製造・保有等の禁止だけでなく,核爆発装置の製造能力の宣言,同既存装置の解体,放射性廃棄物の投棄だけでなく持込みも禁止,核施設の防護,核施設への武力攻撃禁止など規定が広範にわたり,徹底している点に特徴が見られる。もう一つは東南アジア諸国連合(ASEAN)7ヵ国(当時)とラオス,カンボジア,ミャンマーが95年12月に調印した東南アジア非核地帯条約である(1997年3月発効)。この条約は,通常の核兵器禁止に加え,他のNWFZ条約と異なり大陸棚,経済水域にも適用されることになっている。海洋法でも主権に制限のある大陸棚,経済水域を非核地帯化してよいかどうかには法的疑義があるため,核兵器の運搬,寄港を含む艦船の自由航行への影響を懸念するアメリカ,中国はこの点に異議を唱え,修正を求めている。いずれにしてもいまや南半球のほぼ全域を覆うに至ったNWFZは,核不拡散の補完的措置として大きな役割を果たすようになった。
冷戦終結を受けてNPTを中心とする世界的な核不拡散体制は普遍性が増大し,IAEAによる保障措置も大いに強化された。この体制を安定的に発展させるためには一方での一層の核軍縮とともに,他方,残された少数の拡散懸念国の問題に対して,今後はむしろそれぞれの国家の置かれた地域の情勢や国家の安全保障問題にきめこまかく対応する補完的な地域的措置が必要となっている。
→核戦略 →軍縮 →軍備管理
執筆者:納家 政嗣
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
正式には「核兵器の不拡散に関する条約」。核拡散防止条約ともいう。略称NPT。1960年のフランスの最初の核実験に続いて中国の実験も予想されるようになり、さらに西ドイツなどへの核拡散も懸念されたため、アメリカ、ソ連が1964~1965年ごろから軍備管理の主要課題として取り上げ始めた。最初に米ソ交渉によって条約草案を作成し、その後非核兵器国との交渉を行ったが、大きな修正はないまま、1968年6月12日国連総会本会議でこの条約の推奨決議が採択された。米ソの批准書寄託が完了した1970年3月に発効した。加盟国は2010年6月時点で、190か国。
この条約は、アメリカ、ソ連(1991年のソ連解体後はロシア)、イギリス、フランス、中国を核兵器国と規定し、第1条で、これら核兵器国が非核兵器国に核兵器、その他の核爆発装置、その管理、あるいはその製造の援助を与えないこと、第2条で、非核兵器国が核兵器、その他の核爆発装置、その管理の受領、あるいはその製造について援助を受けてはならないこと、第3条で非核兵器国が義務の履行を確実にするため国際原子力機関(IAEA)と査察を含む保障措置協定を結ぶことを義務づけている。第4条は締約国の原子力平和利用が奪いえない権利であること、また第6条では締約国が核軍縮条約に向けて誠実に交渉を行うことを規定する。この条約の主たるねらいは第2条のいわゆる「横の核拡散」(核兵器国の増加)防止にある。この意味で冷戦時代にはこの条約は米ソ体制の法的な枠組みと性格づけられた。発効後5年ごと(1975年~)に条約の運用検討会議(当初は「再検討会議」とよばれたが、2000年前後からこの呼称が一般化)が開催されている。この会議の大きな焦点は「横の核拡散」禁止の義務を負う非核兵器国と、「縦の核拡散」(核軍備の増強)を続ける核兵器国の対立である。第6条に規定される核軍縮の遅れに不満を強める非同盟諸国などは、縦・横の拡散防止措置を連動させることを主張して毎回核兵器国と鋭く対立したが、冷戦期には核兵器国の譲歩はほとんど得られなかった。冷戦の終結期になり中距離核戦力全廃条約(1987)、第一次戦略兵器削減条約(START‐Ⅰ、1991年調印)など核軍縮の方向が見えたこと、並行して拡散が懸念されていたアルゼンチン、南アフリカ共和国などのほか、米ソ支配を嫌って未加盟だったフランス、中国も加盟し、NPT体制は強化されたかにみえた。
しかし冷戦終結後この条約は新たな挑戦を受けた。湾岸戦争(1991)後の査察でNPT加盟国であるイラクの核開発が発覚した。直後に北朝鮮の核開発疑惑も浮上し、さらにリビア、イラン、シリアなどが続くことが懸念されたのである。アメリカはじめ主要国はNPT体制の強化に動き、条約期限満了を迎えた1995年の運用検討・延長会議でNPTは無期限延長された。軍事転用防止の保障措置体制を強化するため、IAEA査察を核物質を扱わない未申告施設などに拡大し、核活動に伴う放出同位元素採取(環境サンプリング)などを可能にするモデル追加議定書(INFCIRC/540、1997年)も作成された(2009年1月、88か国加盟)。しかし決意して核開発に踏み出す国家にはNPT強化で対処することはむずかしい。湾岸戦争以来大量破壊兵器開発を阻止する国連査察が続いたイラクでは、査察への非協力を一つの理由に2003年、アメリカ中心の有志連合軍が進攻、サダム・フセイン政権を倒した。北朝鮮問題では1993年に米朝協議、2003年に米中朝協議を経て日本、韓国、ロシアを加えた六者会合の場が設けられた。また2002年8月にウラン濃縮が暴露されたイランに対してはイギリス、フランス、ドイツ(EU3)、ついで2006年安全保障理事会制裁が検討される段階からはアメリカ、ロシアを加えた6か国(安全保障理事会常任理事国P5+ドイツ)の枠組みが設けられ、対応は個別の交渉枠組みと国連安保理へと移った。しかし安保理による制裁はNPTを超える義務(ウラン濃縮放棄)をイランに負わせる画期的なものであるが、NPT第4条に基づいて平和利用を主張するイランの濃縮活動に歯止めをかけることはできていない。北朝鮮も2003年にNPT脱退を宣言、2006年、2009年には核実験を行った。
もう一つの大きな挑戦は、1998年にNPT未加盟のインドとこれに対抗するパキスタンが核実験を行ったことである。未加盟国にNPTで対処することはできないが、5か国を核兵器国と規定するNPTの基盤を揺るがすできごとではあった。当初は非難し制裁を課した国際社会は、アメリカにおける「9・11同時多発テロ」、アフガニスタン戦争の後には態度を変え、アメリカはインドの平和利用分野にIAEA保障措置を適用するとしたうえで、2008年にインドと原子力協力協定を締結した。それ以降ロシア、フランス、カナダ、カザフスタン、韓国が続き、さらに日本も原子力協力のための作業グループを立ち上げ、インドを事実上の核兵器国として認知する流れができつつある。これに対し2010年6月、中国はパキスタンに2基の原子炉を輸出することを明らかにした。原子力供給国グループ(NSG)が反対しているとはいえ、印パ選別の論理をつくるのはむずかしく、長期的にはこの問題も核不拡散体制に深刻な影響を与えるであろう。
このような厳しい挑戦の下で、2010年5月に8回目の運用検討会議が開かれた。前回2005年には手続問題に手間どったうえ、アメリカのブッシュ政権が核軍縮には意欲をみせない一方でウラン濃縮・プルトニウム再処理施設・技術の新規取得禁止などを主張して非核兵器国の反発を買い、最終文書を採択できなかったため今回は危機感があった。オバマ政権は「核なき世界」演説(2009年4月)に続き、アメリカ、ロシアの新戦略兵器削減条約調印(新START条約、2010年4月)、核戦力の削減と役割低下の姿勢を表明(核戦力態勢見直し(NPR)2010年4月)、準備を整え会議に臨んだ。条約の運用検討については議長作成の文書に留意がなされ、行動計画が採択されたことで危機にあるNPT体制はひとまず救われた。行動計画には、核廃絶の「明確な約束」(2000年最終文書)の再確認、核兵器国は核軍縮措置を検討し2014年の運用検討会議準備会合に報告、締約国には追加議定書への加盟の奨励、また2012年に中東非大量破壊兵器地帯設置の国際会議を開催することへの支持、などが盛り込まれた。しかし困難な問題を先送りしており、核不拡散体制強化に進展があったとはいえない。冷戦後20年間の動向は、時代環境が条約作成時とはさま変わりし、核不拡散問題はNPT体制を維持しながら、制度外での外交枠組み、危機管理体制、地域的な制度、安全保障理事会の活用、など多元的な補完体制に依存せざるをえない時代を迎えたことを示している。
[納家政嗣]
『納家政嗣・梅本哲也編『大量破壊兵器不拡散の国際政治学』(2000・有信堂高文社)』▽『浅田正彦・戸崎洋史編『核軍縮不拡散の法と政治』(2008・信山社出版)』▽『岩田修一郎著『核拡散の論理』(2010・勁草書房)』
(坂本義和 東京大学名誉教授 / 中村研一 北海道大学教授 / 2007年)
(渥美好司 朝日新聞記者 / 2008年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
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…原子力産業の発展は必然的にこれらの特殊核物質の世界的拡散を生ずることとなり,原子力技術情報の拡散とあいまって,それらが軍事転用される危険が生ずることとなる。それを防ぐことを目的とする条約が核不拡散条約であり,それを批准した国々では国際原子力機関との間で保障措置協定を結び,自国の原子力産業に対する査察を認めることとなる。米ソ両大国の合意のもとに成立したこの条約は,両大国の核軍拡をまったく規制することなく,他の国々が核兵器を持つことを防止し,かつ原子炉等の輸出なども妨げないという矛盾に満ちた内容をもっている。…
※「核不拡散条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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