園田 直
ソノダ スナオ
- 肩書
- 衆院議員(自民党),元・衆院副議長,元・外相
- 生年月日
- 大正2年12月11日
- 出生地
- 熊本県天草郡河浦町
- 学歴
- 天草中〔昭和6年〕卒
- 経歴
- 20代で郷里の村長を務めたあと、昭和22年熊本2区から民主党公認で衆院議員に当選し、以来15回当選。この間、佐藤内閣時代の衆院副議長の後、42年厚相として初入閣、水俣病、イタイイタイ病を公害病と認定。福田内閣では51年官房長官、52年外相を歴任。日中平和友好条約の締結に尽力し、53年8月12日同条約に外相として調印した。その後、大平内閣の外相、鈴木内閣の厚相、外相を務めた。政党関係は、戦後の民主党、改進党から自民党になって河野派、福田派にいたが、54年の大平首相、福田前首相による“40日抗争”では大平支持に回って福田派を除名され無派閥となった。24年には労農党の代議士だった松谷天光光と結婚し、“白亜の恋”と騒がれた。剣道7段、合気道8段の武道家でもある。
- 受賞
- 勲一等旭日大綬章〔昭和59年〕
- 没年月日
- 昭和59年4月2日
- 家族
- 妻=園田 天光光(衆院議員) 二男=園田 博之(衆院議員)
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
園田 直
ソノダ スナオ
昭和期の政治家 衆院議員(自民党);元・衆院副議長;元・外相。
- 生年
- 大正2(1913)年12月11日
- 没年
- 昭和59(1984)年4月2日
- 出生地
- 熊本県天草郡河浦町
- 学歴〔年〕
- 天草中〔昭和6年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 勲一等旭日大綬章〔昭和59年〕
- 経歴
- 20代で郷里の村長を務めたあと、昭和22年熊本2区から民主党公認で衆院議員に当選し、以来15回当選。この間、佐藤内閣時代の衆院副議長の後、42年厚相として初入閣、水俣病、イタイイタイ病を公害病と認定。福田内閣では51年官房長官、52年外相を歴任。日中平和友好条約の締結に尽力し、53年8月12日同条約に外相として調印した。その後、大平内閣の外相、鈴木内閣の厚相、外相を務めた。政党関係は、戦後の民主党、改進党から自民党になって河野派、福田派にいたが、54年の大平首相、福田前首相による“40日抗争”では大平支持に回って福田派を除名され無派閥となった。24年には労農党の代議士だった松谷天光光と結婚し、“白亜の恋”と騒がれた。剣道7段、合気道8段の武道家でもある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
園田直 そのだ-すなお
1913-1984 昭和時代後期の政治家。
大正2年12月11日生まれ。昭和22年衆議院議員(当選15回,自民党)。24年労働者農民党の衆議院議員松谷天光光と結婚,白亜の恋と話題になる。42年第2次佐藤内閣の厚相となり水俣(みなまた)病,イタイイタイ病を公害病に認定。53年福田内閣の外相として日中平和友好条約交渉を妥結させた。昭和59年4月2日死去。70歳。熊本県出身。天草中学卒。
【格言など】国民の健康は企業利益に優先する(水俣病,イタイイタイ病を公害病に認定したときのことば)
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
園田 直 (そのだ すなお)
生年月日:1913年12月11日
昭和時代の政治家。衆議院議員(自民党);衆議院副議長
1984年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報