道路や公共広場の地下に,通路(地下道)とそれに面する店舗などによってつくられた複合建築物をいう。最近の都市の地下空間には,ビルの地下階や地下鉄駅,地下駐車場などがあるが,それらが地下街と結びついて,連続した地下の街を形成している場合があり,それら全体を広義に地下街と呼ぶときがある。日本の地下街は第2次大戦前に,地下鉄の建設に合わせて誕生したが,いずれも小規模なもので,面積では大阪の旧梅田地下街(1942完成。9698m2)が最大であったが,それでも最近のものと比べるとかなり小さい。戦後,高度成長期の1960年代後半になって,地下街は全国に急激に増加した。1955年当時全国で3万3500m2程度であったものが,70年代末には80万m2を超す床面積になった。おもな地下街には,オーロラタウン(札幌,2万9356m2),八重洲地下街(東京,6万9183m2),新宿西口地下街(東京,2万9650m2),横浜駅東口地下街(横浜,6万6965m2),エスカ(名古屋,2万9150m2),ウメダ地下センター(大阪,3万1705m2),ミナミ地下街虹のまち(大阪,3万6474m2),さんちかタウン(神戸,1万8210m2),岡山一番街(岡山,2万4771m2),天神地下街(福岡,3万3510m2)などがある。
諸外国では日本のように地下街づくりは盛んではない。トロント(カナダ)には市議会議事堂のある広場の南側から国鉄ユニオン駅にかけて,かなり長い地下街がある。ニューヨークにもグランド・セントラル・ターミナルなどに地下通路といくつかの商店からなる地下街がある。マンハッタンの中心ロックフェラー・センターにもアンダーグラウンド・コンコースunderground concourseと呼ばれる地下街があるが,ビルの地下階部分に店舗があり,それらが中心となっていて,地下鉄駅や地下通路で結ばれている。地下街部分が当初から計画的につくられており,また通路の方位が碁盤目状の道路に従っていることから,日本の継ぎはぎ状に建設され,迷路状になっている地下街に比べて比較的わかりやすい。このように諸外国の地下街は,日本のように数が多くなく,また,無秩序に地下階や地下鉄駅などと結びついて,巨大化,迷路化していない。
日本で地下街が増加した要因は次のような点にある。第1に都心の地価が異常に高騰して空間の立体的利用が追求され,建造物が地下に広がる傾向が増加したこと。第2に,巨大なターミナルなど中心地区が形成され,そこに人と自動車が異常に集中し,店舗需要が大量に発生したこと。都心に業務施設,郊外に住宅地を配置し,それらを鉄道で結びつける都市づくりが促進されるなかで,巨大なターミナルが形成される。そこでは,大量に行き来する人を目あてとして店舗需要が高まり,店舗の増える条件が生まれる。一方,集中する人と自動車を分離する安易な方法として,自動車を地上に,人を地下に通すことがすすめられる。この大量の通行人を対象にして,地下の商店街が増えていく。第3に,地下鉄の拡張と私鉄などの地下化が促進されたことである。多くの都市で,路面電車が取り払われ,代わって地下鉄がつくられていった。鉄道の乗換処理は地下でなされるようになり,その結果,ターミナルの地下部分が広がることになる。第4に,地下街建設が多くの場合,公共・民間合体の事業主体によって進められたことである。道路という公共空間の地下部分に事業を進める地下街建設は,半公半民の会社が行うことにより,事業の進展が早められた。
地下街の空間構成上の特徴と問題点は,第1に広い範囲にわたって迷路化し,人間がそれぞれの空間の位置を全体の空間のなかでとらえにくい点,また,窓がなく,全体が密室化している点である。これらは,日常的に道に迷いやすいといったことだけでなく,災害時の避難がむずかしいことや火災時の消火,排煙の困難性といった問題点をもっている。第2に,地下街は高い建設費を捻出するため店舗スペースを増やし,店舗本位につくられていて,公衆便所や休憩場,広場など公共スペースが少ない。そのため過密な通路が多くなり,防災上,環境衛生上の問題点を生んでいる。第3に,建設年度の古い地下街を中心に防災・環境衛生設備が不十分で,空気の汚れがひどく,炭酸ガス濃度が高く,塵埃(じんあい)や空気中の細菌が多い。これには一年中太陽光線が当たらないという空間の特質も大きく影響している。それらは,地下街で働く労働者の作業環境をも悪くしており,保安,電気,機械関係の労働者などに,視機能低下など神経感覚的な疲労症状や気管支関係の身体的影響など,特徴的な健康障害があらわれている。
このように地下街が防災,環境衛生,労働安全衛生上の問題を多く有していることが,大阪天六ガス爆発事故(1970年4月)などを契機にして指摘されるようになり,政府は1974年に,地下街の新設,増設を原則として認めない方針を打ち出し,既存のものについても,防災設備の強化などを指導してきた。その結果,全国的に地下街の建設は差し控えられてきたが,既存の地下街の整備,改良は大きく進むまでに至っていない。その後も,80年8月静岡駅前地下街で爆発が起こり,33店舗が全壊し,14人死亡,199人重軽傷という事故が発生した。既存地下街の店舗面積の大幅縮小や,地上の大気に通じるオープンカットの大穴をあけるなど,既存地下街に対する思いきった大改造がなされないと安全性を根本的に確保するのはむずかしいとみられる。
執筆者:梶浦 恒男
地下を利用する場合最も必要なのは人間の生存に必要な新鮮な空気と人工的照明である。今日,いろいろな都市の地下に商業的施設のある地下街が誕生できたのは,空調技術の発達に負うところが多い。しかし,地下という本質的に人間の生活に適さない空間の利用であるため,少しでも制御が乱れるといろいろな問題が起こってくる。たとえば停電とか,空調機が故障するとかというレベルから,火災が起こった場合とか地震災害が起こった場合など,地上に比べより深刻な影響を受ける。
日本の大都市では商業中心地区における用地難から地下鉄や地下街が急速に発達してきたが,1974年に防災的見直しが行われ,安全性の要求レベルが高まり,防災設備に多額の費用が必要となったためもあって,新規の地下街の計画は起こっていないのが現状である。昔は地下のホテルもつくられたことがあるが,外気に面せず太陽の光の入らない環境での日常生活は好ましくないことから,現在では昼間の就業時間帯の利用に限定している。日本のようにいろいろな施設が複合化してできあがった地下街をもった国は他に例がなく,環境衛生上も労働衛生上も,また防災面からも未解決の問題を多くもっており,これから地下空間を積極的に利用する際には,たとえば防災という面からだけ考えても単に設備技術的対応をするのでなく,人間行動も含めた計画論的対応の検討を行うべきである。パリの地下鉄の終着駅レ・アールの地下化の際,フランスの技術者が日本を訪れて地下街の勉強をし,彼らが計画したフォーラム・デ・アールでは,地下4階まで掘り下げた商店街の中央に大きな広場を設け,その周りに配置された店舗は総ガラスばりで,採光,通風,防災のいずれについても優れる。こうした計画論的対応を日本は見習う必要があろう。
執筆者:村上 處直
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
道路や建物の地下につくられた大規模な商店街をいう。地下街の原型は、公共的な地下通路に商店が張り付いたものであるが、このほかにビルや駅舎の地階に設けられた商店街、地下鉄のコンコース、地下駐車場に付随した商店街をも地下街とよぶことが多い。地下街はおもに都心のターミナルや繁華街に形成されている。地下街の代表例としては、東京の新宿ステーションビル地下街、大阪の大阪梅田駅前地下街、名古屋の栄(さかえ)地下街などがある。外国の例としてはパリのフォラム・デ・アルやモントリオールの地下歩行網が有名である。日本の地下街は地下鉄の建設に伴ったり、駅前再開発に連動して形成される場合が多い。既存の地下街に周辺のビルや百貨店の地階が連結して、より大規模な地下街が形成される傾向もみられる。地下街は交通の混雑を緩和し、商業面積の拡大をもたらすなどの利点をもつと同時に、利用者に利便性に富み、魅力あふれる空間として受け止められたために全国各地で盛んにつくられた。とくに1960年(昭和35)から1970年にかけての増加は著しいものがあった。この動向に対して、地下街は地上から人間を追放し、地下に閉じ込めるものでしかないとの批判的意見も出されている。
現在、地下街は防災面や衛生面での問題が少なくなく、その設置が必要やむをえない場合を除いて新設または増設は抑制されている。防災面では、火災が起きた場合に煙が大量に発生する、消防隊が進入しにくい、恐慌が生じやすい、などの問題点が指摘されており、やむをえず地下街を建設するに際しては、防災対策を十分に講じることが義務づけられている。地下通路を簡単明瞭(めいりょう)なものとすることや、オープンカットの地下広場を設けることや、防災センターなどによる防火管理の強化に努めることが望まれる。
[室崎益輝]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
7/22 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新