坂上村(読み)さかのうえむら

日本歴史地名大系 「坂上村」の解説

坂上村
さかのうえむら

[現在地名]姫路市網干区坂上あぼしくさかのうえ

坂上出屋敷さかのうえでやしき村の南に位置し、揖東いつとう郡に属する。東は宮内みやうち村。長享元年(一四八七)と推定される福井庄村名注文(吉川家文書)福井ふくい庄二八ヵ村の一として坂上村・坂上村東がみえる。天正一五年(一五八七)九月二四日、木下家定は豊臣秀吉から坂上三二三石などを宛行われている(「豊臣秀吉知行方目録」木下家文書)。翌一六年七月五日には島津義久秀吉から当村の二〇〇石などを与えられており(「豊臣秀吉知行方目録」島津家文書)、同年一〇月吉日の島津氏播磨知行方当納分目録案(同文書)には坂の上村と記され、高のうち不足分を引いた残分は一七一石余で、当納分は八五石余であった。

坂上村
さかうえむら

[現在地名]利賀村坂上

阿別当あべつとう村の北、利賀川右岸の河床に近い平坦地から山裾へかけて家が建つ。東の緩やかな山坂を越えると三一町で上百瀬川かみももせがわ村。左岸は急な山地垣内(枝村)北原きたばら須川すがわがある(三州志)。天文二一年(一五五二)一〇月二七日の五箇山衆連署申定(生田家文書)の「利賀谷」のうちに坂上次郎左衛門尉・坂上左藤兵衛の名がみえる。正保郷帳に村名がみえ高一八五石余、田方五反余・畑方一一町八反余。

坂上村
さかのうえむら

[現在地名]南関町豊永とよなが

南部を菊池川支流の内田うちだ川が東流し、東は東坂上ひがしさかのうえ村、西はあんはる村、北は小原こばる村と接する。北部を豊前街道が抜ける。慶長一三年(一六〇八)検地帳によると田一一六町六反九畝余・畠屋敷七七町五反二畝余・屋敷筆数三一、分米二千石余、家数九三・人数七八、牛馬二二、茶畑一反五畝余、柿木一七、下ケ名にくの山・天神免・はん田・古屋敷などがある。近世は南関手永に属する。「国誌」に「里俗本坂ノ上村ト云、太郎丸村井手村宮島村桑水村小田村長ノ浦村等小村アリ」とあり、宮島みやじま村は大字下坂下しもさかしたにある坂下阿蘇神社の正平一一年(一三五六)一一月二一日銘の三重石塔に「臼間野荘宮嶋」とみえる。文政五年(一八二二)の南関手永略手鑑によると田二九町一反三畝余・畑三六町二反二畝余、竈数八〇・人数三二〇、馬五二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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