朝日日本歴史人物事典 「坂東しうか(初代)」の解説
坂東しうか(初代)
生年:文化10(1813)
江戸後期の歌舞伎役者。女形。屋号大和屋。市村座の帳元橘屋治助の次男。幼名玉之助。文政7(1824)年,初代坂東玉三郎を名乗って市村座へ出,子役として唐子の所作を勤めたのが初舞台。文政12年から3年間名古屋と上方で修業したのち,江戸に下って次第に名声を得た。天保10(1839)年,養父3代目坂東三津五郎の俳名秀佳に因んで改名。8代目市川団十郎と競演して江戸の人気を集めたが,43歳の若さで没した。風采がよく口跡にすぐれ,派手で伝法肌の女役を得意とし,晩年には「眼千両」といわれた女形の名優5代目岩井半四郎の芸風をよく受け継いでいた。当たり役に女清玄,浦里,鬼神お松など。性格は豪放で金遣いが荒かったというが,人望はあり,弟子はもちろん,木戸芸者や落語家,幇間など朝夕台所で飯を食うものが常に二,三十人はいたという。没後,5代目坂東三津五郎を追贈されている。この名跡は4代を数えたが,初代が最も有名である。<参考文献>伊原敏郎『近世日本演劇史』,俳優堂夢遊『俳優世々の接木』(国立劇場芸能調査室編『歌舞伎の文献』8巻)
(赤間亮)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報