東京湾の奥部、遠浅の浜に延びた標高一三メートルの台地斜面にあり、国指定史跡。明治五年(一八七二)の鉄道開通に伴い、線路敷設のために遺跡のある台地の東側が削り取られた。そのときに貝塚の一部が露出し、土とともに貝類や土器片も線路の基盤に敷きつめられた。同一〇年六月、横浜に着いたばかりのアメリカ人E・S・モースは横浜から新橋に向かう途中、大森駅を出発してすぐに車窓より露呈した貝層を見つけた。同年九月一六日、モースは東京大学の助手松村任三と生徒の松浦佐用彦・佐々木忠次郎らとともに大森貝塚を踏査した。その後も何回か貝塚の実地調査をし、その成果をアメリカの雑誌
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アメリカの動物学者エドワード・S・モースが1877年(明治10)6月、横浜から東京・新橋(しんばし)へ向かう汽車の車窓から発見した貝塚。東京都品川区大井6丁目、東海道本線の線路ぎわに「大森貝塚」の碑がある。また大田区山王1丁目地内に「大森貝墟(きょ)」の碑がある。これはモースが大森貝塚の南にも小貝塚があると記したものであろう。したがって現在は一群のものとして両地を国の史跡に指定している。
モースは1877年10月、この貝塚の発掘調査を実施し、1879年東京大学理学部英文紀要の第一冊として『SHELL MOUNDS OF OMORI』の表題で、同貝塚の発掘調査報告を刊行した。また同年12月、矢田部良吉訳で『大森介墟古物編』が刊行された。これは日本における学問的な発掘調査の最初のものであり、また前記著書も発掘調査報告書として最初のものである。すなわち大森貝塚は日本の考古学研究、とくに縄文土器文化研究の第一歩を踏み出した記念すべき遺跡である。
なお、大森貝塚は縄文文化後期から晩期にわたる比較的規模の大きな貝塚で、モースの発掘した土器、石器などの資料は、現在も東京大学総合研究博物館に保存されている。
[江坂輝彌 2018年9月19日]
『東京都大森貝塚保存会編『大森貝塚』(1967・中央公論美術出版)』▽『E・S・モース著、近藤義郎・佐原真編・訳『大森貝塚』(岩波文庫)』
京浜東北線大森駅の北側の,東京都品川区大井6丁目(旧,鹿島町)に,かつて存在した縄文時代後・晩期の鹹水(かんすい)産貝塚。1877年にE.S.モースが発見し,同年から翌年にかけて発掘調査した。学術上の目的で調査された日本で最初の遺跡である。モースはこの成果を《Shell Mounds of Omori》(矢田部良吉訳《大森介墟古物編》1879)として報告した。報告書は,正確で写実的な遺物の図を豊富に掲げ,遺物の詳細な観察にもとづく用途が記されたり,各国の先史遺跡の事例をも引合いにするという高水準の内容で,今日でも報告書の鑑(かがみ)とされている。大正末ごろになると,貝塚の正確な位置もわからなくなり,大田区と品川区に二つの記念碑が昭和初期に別々にたてられた。このため国史跡もこの2ヵ所をあわせて指定している。その後,発掘に際しての畑地借上げ書類が《東京市史稿》に登載されていることがわかり,上記の位置であることが判明した。
執筆者:安孫子 昭二
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東京都品川区大井から大田区山王にかけてある縄文後期を中心とした中~晩期の貝塚。1877年(明治10)東京帝国大学に赴任したE.S.モースが発見し,同年日本ではじめて学術的な発掘を実施。ハイガイ・アサリを主とし,土器・石器・装身具・土版・骨角器・人骨など豊富な遺物を検出した。出土土器は大森式と称され,のちに薄手式土器の代表となった。また破砕された人骨から食人の風習を指摘し,後の人種論争に影響を与えた。遺物の正確な実測図,詳細な分類・考察を加えた報告書「Shell Mounds of Omori」(邦訳「大森介墟古物篇」)は日本最初の学術報告書として高く評価されている。国史跡。
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(天野幸弘 朝日新聞記者 / 今井邦彦 朝日新聞記者 / 2007年)
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…さらに教育博物館(現,国立科学博物館)を指導,一般向けの講演会にも積極的に参加し,巧みな話術と両手で描く絵で聴衆を魅了するなど多方面で活躍した。 1877年モースは大森貝塚(現,品川区大井6丁目)を発見し,同年から翌年にかけて発掘調査したが,この成果を東京大学は彼の進言によって,和英両文(《大森介墟古物編》《Shell Mounds of Omori》)で79年に東京大学理学部会粋第1冊として刊行した。この報告書は同貝塚出土遺物のセッコウ模型とともに欧米の大学・博物館に配布され,また出土遺物と欧米の先史遺物との交換も行われた。…
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