堀切善次郎(読み)ホリキリ ゼンジロウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「堀切善次郎」の解説

堀切 善次郎
ホリキリ ゼンジロウ


肩書
貴院議員(勅選),内相,内閣書記官長

生年月日
明治17年9月2日

出身地
福島

学歴
東京帝国大学法科大学〔明治42年〕卒

経歴
内務省に入る。警視庁警視、岩手・山口各県事務官、京都府理事官、内務監察官、同省参事官、神奈川県知事、東京市長、拓務次官を歴任。昭和7年5月斉藤実内閣の法制局長官就任、同時に内閣資源局長官をも兼任。8年3月同内閣の書記官長に転じる。同内閣総辞職後は、貴院勅選議員として活躍し、研究会に所属。20年幣原内閣の内務大臣となったが、戦後追放により、公職から離れ、弁護士を開業した。

没年月日
昭和54年11月1日

家族
兄=堀切 善兵衛(政治家)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「堀切善次郎」の解説

堀切 善次郎
ホリキリ ゼンジロウ

大正・昭和期の内務官僚 貴院議員(勅選);内相;内閣書記官長。



生年
明治17(1884)年9月2日

没年
昭和54(1979)年11月1日

出身地
福島県

学歴〔年〕
東京帝国大学法科大学〔明治42年〕卒

経歴
内務省に入る。警視庁警視、岩手・山口各県事務官、京都府理事官、内務監察官、同省参事官、神奈川県知事、東京市長、拓務次官を歴任。昭和7年5月斉藤実内閣の法制局長官に就任、同時に内閣資源局長官をも兼任。8年3月同内閣の書記官長に転じる。同内閣総辞職後は、貴院勅選議員として活躍し、研究会に所属。20年幣原内閣の内務大臣となったが、戦後は追放により、公職から離れ、弁護士を開業した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「堀切善次郎」の解説

堀切善次郎 ほりきり-ぜんじろう

1884-1979 大正-昭和時代官僚,政治家。
明治17年9月2日生まれ。堀切善兵衛の弟。内務省土木局長,神奈川県知事をへて関東大震災後の復興局長官。昭和4年退官,東京市長。以後,斎藤内閣の法制局長官,内閣書記官長,幣原(しではら)内閣の内相などをつとめる。貴族院議員。戦後は東京都公安委員長。昭和54年11月1日死去。95歳。福島県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「堀切善次郎」の意味・わかりやすい解説

堀切善次郎
ほりきりぜんじろう

[生]1884.9.2. 福島
[没]1979.11.1. 東京
内務官僚。 1909年東京大学法科卒業。内務省に入り,翌年警視庁監察官。 26年帝都復興局長官,29年東京市長などをつとめた。また,32年斎藤内閣の法制局長官,翌年同内閣書記官長になった。第2次世界大戦後の 58年岸信介もとで東京都公安委員長についた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

367日誕生日大事典 「堀切善次郎」の解説

堀切 善次郎 (ほりきり ぜんじろう)

生年月日:1884年9月2日
大正時代;昭和時代の内務官僚。内相;内閣書記官長
1979年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android