堀正太郎(読み)ほりしょうたろう

改訂新版 世界大百科事典 「堀正太郎」の意味・わかりやすい解説

堀正太郎 (ほりしょうたろう)
生没年:1865-1945(慶応1-昭和20)

植物病理学者。出雲国(島根県出身。1888年札幌農学校卒業,91年東京帝国大学理科大学卒業。農事試験場に入り,99年初代の病理部長となる。1891年,黒穂病の防除に初めて温湯浸法を適用,97年にはナシ赤星病防除にボルドー液散布と中間寄主イブキの伐採を提唱し,これが広く実施されるにいたる。そのほかイネいもち病,キュウリ露菌病,ブドウ白渋病など多くの病害防除に貢献した。ボルドー液の調合に〈なん斗式〉というわかりやすい呼称を用いたこと,廉価な銅セッケン液を開発したことも実際を重んじた現れである。晩年,千葉高等園芸学校(現,千葉大学園芸学部)教授となる。自伝《植医五十年の回顧》はそのまま日本の作物病害防除半世紀の歴史でもある。主著に《主要農作物病害論》《植物病害講話》がある。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「堀正太郎」の解説

堀正太郎 ほり-しょうたろう

1865-1945 明治-昭和時代前期の植物病理学者。
慶応元年10月15日生まれ。明治26年農商務省農事試験場にはいり,32年初代病理部長。ナシの赤星病やイネのいもち病などの病害防除で業績をのこした。のち千葉高等園芸(現千葉大)講師。昭和20年死去。81歳。出雲(いずも)(島根県)出身。帝国大学卒。著作に「主要農作物病害論」など。

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