精選版 日本国語大辞典 「なし」の意味・読み・例文・類語
なし
- 〘 名詞 〙 ( 「はなし(話)」の上略語 ) 俗に密会・密談・合図・通知などをいう語。
- [初出の実例]「観衆の好奇心をそそるやうに、小さな声でナシヲウツ」(出典:彼女とゴミ箱(1931)〈一瀬直行〉その上に)
な‐し
- 〘 間投助詞 〙 文節末にあって、軽い語りかけや感動を表わす。
- [初出の実例]「美しい人だったぞなし」(出典:夜明け前(1932‐35)〈島崎藤村〉第一部)
翻訳|pear
バラ科(APG分類:バラ科)ナシ属Pyrusに属する30余種の総称。ユーラシアの主として温帯に分布する。落葉高木ないし低木。花は白色。萼片(がくへん)、花弁ともに5枚を基本とする。雄しべは多数、雌しべは2~5本で基部まで分離する。子房は下位。2~5心室からなり、各室に2胚座(はいざ)をもつ。果実は花托(かたく)が発達した偽果(ぎか)で、種子は黒い。果形は変異に富む。果皮は緑色から褐色で、果肉内に石細胞(せきさいぼう)がある。果肉は白色から淡黄白色を主とするが、中国の雲南省、ネパールに自生するヒマラヤナシ(パッシア種)P. pashia D.Donのように黒褐色もある。収穫直後に食べられる種類と後熟(数日間貯蔵して軟化させること)を要するものとがある。芳香はあるものとないものがある。
[飯塚宗夫 2020年1月21日]
ヨーロッパ、近東、西アジア起源の種類と多雨の東アジア起源の種類に大別される。いずれも食用種と台木用種とがある。食用種では主として前者にはセイヨウナシP. communis L.が、後者にはチュウゴクナシとニホンナシがある。
セイヨウナシは、葉は表面に光沢があり、卵形から長楕円(ちょうだえん)形で葉先は短く、とがる。果実は倒円錐(とうえんすい)、球、卵形などあり、石細胞は少ない。後熟すると軟化し、肉質はバター様となり、芳香に富み、味はよい。生食、加工用とする。このほかにスイス西部からフランスに分布し、ペリー酒perryの原料となるユキナシ(ペリーナシ)P. nivalis Jacq.が知られる。
中国を原生地とするナシ属には十数種がある。しかし東北地方に広く分布するウスリーナシ(秋子梨(チウズリー))P. ussuriensis Maxim.群と黄河流域、河北省に多い白梨(パイリー)(チュウゴクナシ)P. bretschneideri Rehd.群の2群および揚子江(ようすこう)流域に多い砂梨(シャーリー)P. pyrifolia Nakai群が大栽培され、他の種は地方的に栽培されるにすぎない。ウスリーナシは高木で10~15メートル、幼樹は刺(とげ)が多く、若枝は毛を密生し、葉は大きく、広卵から卵円形で鋭い鋸歯(きょし)がある。果皮が緑黄色の青ナシが多く、果実は球形で萼を残す。後熟を要し、石細胞は多く、芳香がある。多くは零下30℃前後に耐える。白梨群は樹高8~13メートル、枝は開張性で小枝は無毛かわずかに柔毛がある。葉は卵円形で鋭い鋸歯があり、大きい。果実は倒卵球から長球形で大きく、果皮は緑黄色であるが、淡紅色を帯びるものもある。宿存萼はないか、あっても軽度である。石細胞は小さく、密に分布し、香りは少ない。後熟は不要で貯蔵性が高い。鴨梨(ヤーリー)、秋白梨(チウパイリー)などがこれに属す。砂梨はニホンナシの系統であるヤマナシP. pyrifolia (Burm.f.) Nakai(P. pyrifolia Nakai var. montana Nakai)と同類で、樹形、花、果実などヤマナシによく似ている。
ニホンナシは日本原産のヤマナシを基本種とし、一部では同じく日本原産のミチノクヤマナシ(イワテヤマナシ)P. ussuriensis Maxim. var. aromatica Rehd.の血も受けている。葉は楕円から卵形で、全縁または鋸歯をもつ。花は白色で、まれに淡紅色のものもあり、香りは悪い。果実は球、扁球(へんきゅう)、長球形などで、200~500グラム、果皮は褐色のアカナシ、緑黄色の青ナシおよび中間色がある。熟果は普通は萼を残さない。石細胞は多く肉質は硬いが、新品種では改良されてきた。日本にはそのほか、関東から中部にまれに野生し、果皮が緑黄色のアオナシP. ussuriensis Maxim. var. hondoensis Rehd.、本州中部に自生し、果皮が褐色で2心室のマメナシ(別名イヌナシ)P. calleryana Decne. var. dimorphophylla Koidz.、栽培種とマメナシの自然雑種で3心室のアイナシP. × uyematsuana Makinoなどがある。
[飯塚宗夫 2020年1月21日]
セイヨウナシはヨーロッパではきわめて古い果樹の一つである。古代ギリシアの詩人ホメロスは「ナシは神の贈り物」として栽培されていたことを示し、またテオフラストスのころには品種が確立され、接木(つぎき)繁殖が行われていた。紀元50年ころになると品種は分化を始め、35品種が記録された。やがて栽培地はヨーロッパ中部へと広まった。イギリスでは1200年ころから経済栽培が始まった。18~19世紀には品種改良が急速に進み、今日の主要栽培品種が確立した。イギリスで1796年ころに実生(みしょう)品種として生まれたウィリアムス・ボン・クレッシェンWilliams Bon ChretienはアメリカではバートレットBartlettとよばれ、今日も世界の主要品種となっている。ベルギーではウィンターネリスWinter Nelis、フレミッシュビューティFlemish Beautyなどが選ばれた。フランスでみいだされたラ・フランスLa France、プレコースPrecoseなどもこのころのものである。
中国におけるナシ栽培は古く、『詩経』の晨風篇(しんぷうへん)に記載され、2500年以上の歴史をもつ。『爾雅(じが)』『史記』『三秦記(さんしんき)』『花鏡(かきょう)』などの古籍にも「如蜜梨(ルーミーリー)」「紅梨(ホンリー)」「白梨」その他の名がみられる。『斉民要術(せいみんようじゅつ)』には接木繁殖、害虫防除、貯蔵加工なども記録されている。東北地区では南果梨(ナンクオリー)、京白梨(チンパイリー)など耐寒性品種群が育成され、黄河流域では鴨梨、慈梨(ツーリー)、秋白梨などが分化してきた。近年では河南や揚子江流域などへ日本品種が導入され、栽培も多い。
日本では『日本書紀』(720)の記載が最古の文献で、持統天皇(じとうてんのう)の章に梨その他栽培の勧めがある。『三代実録』(908)には信濃国(しなののくに)から梨が、『延喜式(えんぎしき)』(905~928)には甲斐国(かいのくに)から青梨子が献じられた記録がある。1782年(天明2)には早生(わせ)、中生(なかて)、晩生(おくて)合計94品種が記録され、接木、棚づくり、剪定(せんてい)法など進んだ栽培法の記録もある。このころから全国的に栽培が広がり、新潟、山形、神奈川県などはいずれも250年以上の栽培歴史をもつ。1895年(明治28)ころ、今日よく知られる「長十郎」と「二十世紀」が発見された。長十郎は神奈川県川崎市の當麻長十郎のナシ園で偶発実生として発見されたもので、病気に強く豊産性の赤ナシ品種である。また、二十世紀は、千葉県松戸市の松戸覚之助の宅地内で偶発実生として発見されたもので、黒斑(こくはん)病には弱いが、形もよく豊産で食味が優れた品種である。二十世紀の名は、1898年、20世紀を担うべき品種としてつけられた名である。このほか、早生の赤(あか)早生、晩生の晩三吉(おくさんきち)などもよく知られる。近年、耐病性で品種のよい果実を目標とした育種が進み、農林水産省果樹試験場によって幸水(こうすい)、新水(しんすい)、豊水(ほうすい)、新高(にいたか)、新興(しんこう)、秋月(あきづき)、南水(なんすい)などの品種が育成され、普及してきた。また、二十世紀の自然突然変異による自家和合形質、γ(ガンマ)線照射による黒斑病抵抗性形質の出現も注目されている。セイヨウナシは明治初期(1872~1873)に開拓使により導入され、チュウゴクナシは鴨梨が1867年(慶応3)勧業寮により、莱陽慈梨(ライヤンツーリー)は1912年(大正1)に導入された。
[飯塚宗夫 2020年1月21日]
繁殖はニホンナシでは共台(ともだい)、セイヨウナシではニホンナシ台かセイヨウナシに似ているがナシ属とは別のマルメロ属のマルメロ台を用いた接木(つぎき)による。植え付けは冬季なるべく早く行い、10アール当り19~33本とする。ナシは自家不和合なので、交配親和で開花期が同じ他の経済品種を授粉用に混植する。台風を避け、作業を容易にするため棚仕立てとする。1花房1果とし、袋かけをし、病気、害虫を防ぐとともに、果皮を美しく保つ。青ナシでは果径2~3センチメートルになったとき、大袋にかけかえる。うどんこ病、黒斑病、黒星病、赤星病やアブラムシ、シンクイムシ、アカダニなどを防除するため「ポリオキシン」「ダイセン」「スミチオン」「ケルセン」などの薬剤を年数回から十数回散布する。赤星病はヒノキ科のビャクシンを中間宿主とするので、この木を近くには植えないようにする。
1984年(昭和59)のニホンナシの結果樹面積は1万8700ヘクタール、総収量は47万4000トンで、そのうち二十世紀が面積で33.9%、収量で35.4%を、長十郎が17.1%と19.3%を、幸水が19.8%と18.9%を占めていた。その後、長十郎は果肉が硬く、日持ちが悪いことが嫌われ、栽培されなくなった。2015年(平成27)のニホンナシの結果樹面積は1万2400ヘクタール、総収量は24万7300トンで、もっとも収穫量の多いのは幸水で32.1%、ついで豊水が21.2%、二十世紀が4.7%となっている。府県別面積順位では2015年では千葉12.7%、茨城9.0%で、以下福島、鳥取、栃木、長野と続く。10アール当り収量は幸水で1670キログラム、豊水2270キログラム、二十世紀2000キログラムである。セイヨウナシはラ・フランスが主で、ル・レクチェ、バートレットが続き、全国で1510ヘクタール、2万9200トンを産し、山形、青森、長野県に多い。世界をみると、2015年では総計2676万トンを産し、国別ではチュウゴクナシを主とする中国が1869万トンともっとも多く、ついでセイヨウナシのアルゼンチンが87万トン、以下イタリア、アメリカ、トルコと続く。
[飯塚宗夫 2020年1月21日]
中国では白楽天の長恨歌に出ている「梨花(りか)一枝春帯雨」をはじめ、古くから実よりも花の美しさがたたえられた。一方、日本では『万葉集』に4首詠まれているが、うち3首は黄葉(もみちば)を詠み、残りの1首も花を取り上げてはいない。『枕草子(まくらのそうし)』「木の花」では、梨(なし)の花世にすさまじきものにして近うもてなさず、と述べ、梅、桃と異なり大陸の文学の美意識をそのまま取り入れてはいない。『唐書(とうじょ)』の「礼楽」によると、唐の玄宗皇帝は音律や戯曲を好み、長安の禁苑(きんえん)の梨が植えられていた園に養成所をつくり、俳優の子弟300人を自ら教えた。これから梨園(りえん)の呼称が生じた。日本でも俳優や歌舞伎(かぶき)役者の社会をいう。平安時代、内裏(だいり)の昭陽舎は、その前に梨を植えたので、梨壺(なしつぼ)とよばれた。梨壺の五歌仙は赤染衛門(あかぞめえもん)、和泉式部(いずみしきぶ)、紫式部、馬内侍(うまのないし)、伊勢大輔(いせのたゆう)の5人をいう。また、梨壺の五人とは、『後撰集(ごせんしゅう)』の撰者の大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)、清原元輔(きよはらのもとすけ)、源順(みなもとのしたごう)、紀時文(きのときぶみ)、坂上望城(さかのうえのもちき)をさす。
ナシは中国では紀元前には梨と書かれていなかった。『詩経』の『甘棠(かんとう)』に甘棠、「晨風(しんぷう)」に樹(じゅすい)の名で出る。甘棠は南方の沙棠(さどう)、沙梨(さり)の、樹は北方の白梨や秋子梨の系統とされる。長沙(ちょうさ)にある馬王堆(まおうたい)1号前漢墓からは直径3~4センチメートルの沙梨が出土している。紀元前10世紀から後3世紀にかけての文献には、、(り)、柤(そ)、杜(と)、甘棠、沙棠の順で野生梨から栽培梨への変化がみられるとされる(『生物史』1979・中国科学院出版)。中国の古い梨の品種のなかには、漢代の含消梨(がんしょうり)のような5升大の大きさの梨など変わり物がいろいろあった。現在までに3500もの品種が数えられるという(『生物史』)。日本でナシが全国に普及するのは明治時代に登場した長十郎と二十世紀の功績が大きい。奈良県大淀(おおよど)町の奥徳平(おくとくへい)は中国より導入した梨を改良して「凱歌(がいか)」として売り出したが、それが二十世紀と同一品種とされ、訴訟を引き起こした。奥は裁判では敗れたが、終生、主張を譲らなかった。二十世紀は鳥取県の郷土の花(県花)である。
[湯浅浩史 2020年1月21日]
果実は糖分10~14%で、果肉100グラム中にカリウム140~170ミリグラム、ビタミンC3~6ミリグラムを含み、40~55キロカロリーをもつ。生食のほか主として缶詰、果汁、ネクターなどに加工される。缶詰の場合、セイヨウナシでは追熟ののち、除皮、半切りにして芯(しん)をとり、ポリフェノール物質による酸化褐変を防ぐため食塩水か0.2%の塩酸水溶液に浸(つ)ける。処理後、33~36%の糖液を処理果に対し重量比で60~65%加える。成品の酸度は0.25~0.3%とし、クエン酸で調節する。その後、脱気、密封、殺菌(95℃、20~25分間)により完成する。果汁は、生果のまま、または果実を加熱したのち、搾汁、濾過(ろか)、脱気、密封、殺菌する。搾汁のときビタミンCを加えると褐変が防げる。ネクターは、果肉を加熱軟化して調整し、生果をそのままつぶしたような新鮮な感じの飲料としたもので、原料にはセイヨウナシのバートレットが多く用いられる。
[飯塚宗夫 2020年1月21日]
バラ科ナシ属Pyrus植物の総称。世界に約20種が分布している。それらのうち果樹として栽培されるものはナシ(ニホンナシ),チュウゴクナシ,セイヨウナシの3種で,園芸上は仁果類に属する。日本の栽培ナシはニホンナシが大部分で,セイヨウナシは栽培面積の数%に過ぎない。チュウゴクナシの経済栽培はみられない。このため日本でナシといえばニホンナシを意味することになる。
(1)ナシ(ニホンナシ)P.pyrifolia(Burm.f.)Nakai(=P.serotina Rehd.)(英名Japanese pear,sand pear) 中国の中・北部に原生するヤマナシから改良された栽培品種の総称で,韓国や中国でも栽培される。ヤマナシは日本にも自生していたという意見もあるが,多くは人家の近くに限られるので,栽培からの野生化したものと推定されている。落葉高木で高さ20mに達することもある。白い花は春の葉の展開とともに開き,野生型では果実は径3cmほどと小さいが,栽培型には20cmほどの大果品種もある。ナシは日本での栽培が最も盛んである。栽培歴は古くて7世紀末の持統天皇の時代にはナシ栽培が奨励され,また10世紀の《三代実録》や《延喜式》には信濃や甲斐の国からナシが朝廷に献上された記載がある。江戸時代には各地で栽培が行われ,150以上の品種がつくられた。ニホンナシの品種は,果皮が果点間コルクの発達でさび褐色を呈する赤ナシと,それの発達がみられない緑色の青ナシに大別されるが,明治時代には赤ナシと青ナシの代表品種である長十郎と二十世紀が発見され,栽培技術の進展とそれらの普及によって栽培面積も増加した。第2次大戦の影響で面積は減少したが,現在では北海道の函館以南から九州の南部まで栽培が行われている。主産地は鳥取,福島,茨城,千葉,埼玉,長野などの諸県である。
(2)セイヨウナシ(西洋梨)P.communis L.(英名common pear) ヨウナシともいう。複雑な雑種起源の栽培ナシで,P.communisの野生型を基本にして,ヨーロッパ産のものはP.nivalisとP.amygdaliformisが交雑したものに,さらに東アジア産の種が交配されて現在の品種群が成立したといわれている。セイヨウナシは古くから栽培され,すでにギリシア時代に,接木繁殖や実生繁殖の栽培法が述べられている。またフランス,ベルギー,イギリスなどで品種改良が行われ,著名なバートレットは1770年に偶発実生としてイギリスで発見された品種である。アメリカでの栽培は17世紀中ごろ以降で,果樹園としての集団栽培は18世紀になってから発展した。日本には明治初期に初めて開拓使によって導入されたが,風土が適しなかったため普及せずに終わった。現在では北海道,東北地方や長野県などの一部地域で栽培される。
(3)チュウゴクナシ(中国梨)P.ussuriensis Maxim.(英名Chinese pear) 中国の東北・華北地方から朝鮮半島北部原産のミチノクナシ(ホクシヤマナシ,チョウセンヤマナシ)をもとに改良された栽培品種で,白梨P.bretschneideri Rehd.の名で別種として扱われることもある。中国での栽培歴は古く,《史記》に記載がある。日本には1868年に勧業寮によって鴨梨(ヤーリー)が,1912年に恩田鉄弥によって萊陽慈梨(ライヤンツーリー)が導入されたが,一般に普及するまでに至らなかった。
中・高木性の温帯落葉果樹として栽培されるが,これら3種の特徴点としては,ニホンナシは葉が大きく,卵形~倒卵形,葉縁に針状鋸歯を有し,果実は円形~偏円形が多く,果皮はさび褐色または緑色である。セイヨウナシは葉が小さく卵形~長楕円形で,光沢があり,果実は倒卵形が多い。チュウゴクナシは葉が大きくて卵形~楕円形で果実は大きい。いずれも果肉中には石細胞が含まれる。
栽培は棚仕立てが一般的である。この仕立て方は風害防止のため日本で考案された。諸外国では立木栽培が普通である。ナシでは自家および他家不和合性に基づく結実不良が生じやすいので,栽培にあたっては結実確保のため主品種と和合性のある品種を受粉樹として混植するか,人工受粉を行う必要がある。幼果期には商品性の高い果実を得るため,20~30葉当り1果を残して他は摘果する。摘果終了後は果実の病害虫防除と外観の向上を目的に袋掛けを行うが,赤ナシでは無袋栽培も行われる。赤星病,黒星病,黒斑病,アブラムシ類,シンクイムシ類などの病害虫は適期に薬剤防除を行う。繁殖は接木繁殖で,ニホンナシではその実生(共台)やマンシュウマメナシの実生が台木に用いられる。
ニホンナシは生食を主とするが,ネクターや缶詰原料にも利用する。収穫直後のセイヨウナシは硬く食用にたえないので,追熟によって軟らかくしたのち生食とする。また缶詰,ジュース,ジャムなどの原料にも用いる。
執筆者:志村 勲
ナシは語音が〈無し〉に通ずるため,財産や幸運がなくなるとか人が死ぬといって屋敷に植えるのを忌み,縁起ことばでアリノミと言い換えることもある。反対に,家の建材にナシを使えば〈何もなし〉で盗難にあわぬといい,鬼門に植えて〈鬼門なし〉だと喜ぶ所もある。ナシを食べると疳(かん)の虫がわくといい,ナシを食べる夢を見ても悪いとされる。とくに妊婦は腹が冷えるといって,ナシを食うのを禁じている所が多く,ナシの木の下を通ってもいけないという地方もある。またナシの芯を食べると背が伸びぬとか,はれものができるなどという。実際に芯は固くて酸いものだが,うっかり食べないように〈梨は昼間食え,桃は夜食え〉ということわざもあり,一説には,これはナシにつく虫を食わないためという。ナシは嫌われることが多いが,その白い果肉とサクサクという歯ごたえのよさからの連想からか,歯痛のまじないによく用いられる。歯痛のときに初ナシを神に供えたり川に流すほか,ナシを3年間絶って神に祈願する風もある。このほか,麻疹よけのまじないや咳止め,解熱の薬としても使われる。また,ナシの花や実が多い年は大風,大水になると各地でいい,相馬市ではナシの花の返り咲きは変事の兆しという。
執筆者:飯島 吉晴
ゲルマン人はこの木を神聖なものとして崇拝していた。キリスト教の宣教師たちが異教の信仰を根絶やしにするため,この木を容赦なく切り倒したという話は多い。この木の下に宝が埋められていて悪魔に守られているという伝説,魔女たちが自分をきらう者をナシの種や皮で病気にするというような話の背景には,とくに豊穣(ほうじよう)祈願に結びついた古い習俗があるように思われる。子どもの誕生時に果樹を植える習俗がドイツにあり,女の子が生まれるとナシの木を植えた。占いにも使われ,次のような言い伝えが残っている。クリスマスか聖トマスの日(12月20日)に杖(つえ)かわら束をナシの木に投げ上げ,3度目にかかると恋愛が成就して結婚の運びになる。また大晦日かクリスマスの日に少女がナシの木をゆすると,犬のほえる方角から未来の婿がやってくる。お産のとき,後産をナシの木の下に埋めると次には女の子が生まれる。女の子の最初の産湯もこの木の下に注ぎ,ナシのたくさんできた次の年には女の子の生まれることが多いともいわれる。
執筆者:谷口 幸男
オスマン帝国におけるユダヤ教徒の商人,政治家。スペインにおける15世紀末の迫害を逃れてポルトガルに移住したユダヤ教徒の家系に生まれる。アントワープ,ベネチアに再移住して金融業者として成功するが,再び迫害されて,イスタンブールに移住。この地で,オスマン宮廷に影響力を獲得した。王位継承争いで彼が支援した王子セリム(のちの2世。在位1566-74)が即位すると,エーゲ海のナクソス島の支配権を与えられ,併せて黒海方面から輸入されるブドウ酒輸入税徴収の独占権を得た。これらによる莫大な富を利用して,中東から中部ヨーロッパにかけて国際的金融組織を作り上げ,またセリム2世にキプロス島征服を進言するなど,国際政治を左右する大きな発言力をもっていた。
執筆者:永田 雄三
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