出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…開中法で塩引の量が増加しすぎ,その対策として特定の商人に塩引の割当制限を行ったことから,逆に塩販売の権利が窩本(わほん)と呼ばれる一種の株(塩引独占権)に変わっていった。明中期から清初への銀経済と好況の波にのり,揚州の塩商の活動はめざましく,文学,芸術のパトロンともなり,また塩商の中から学者,政治家を輩出することになる。 しかし,19世紀に入ると,中国経済の崩壊とともにこうした塩法も行き詰まり,1830年(道光10)両江総督の陶澍によって改革が試みられた。…
…彼らの活動は古い時代からはじまっていたと考えられるが,彼らが勃興したのは明代,とくに北辺の兵站を確保するために実施された開中法(塩法)と密接な関係があり,地の利をえて巨富を蓄積した。ついで明代中期に,開中法が運司納銀制へ切りかえられると,その有力者は両淮・両浙地方に移動し,有名な揚州塩商の主力となり,新安商人とともに,商業界を二分する大勢力となった。山西商人の主たる業務は塩商をはじめとして,穀物商,綿布商,絹織物商などにおよび,ほとんど全中国を活動範囲としたほか,一部は海外にまで進出した。…
…塩を例にとって説明すると,当初,製造から販売まで一貫して政府が行う方法(官鬻(かんいく)法)が採用された時期には関与できなかったが,販売を商人にゆだねる方法(通商法)が施行されると,商人は積極的にこれに参加した。主として宋代以後であるが,明代,とくに後半期から清代にかけては販売の独占権を与えられ,巨大な利益を入手する塩商があらわれた。有名な揚州塩商であるが,彼らは国家財政の一翼を担う存在であると同時に,財力を背景として文化の保護者ともなった。…
…新安は徽州の古名である。彼らの活動は古くから知られているが,明代中期からいっそう活発となり,開中法(塩法)の運司納銀制への転換を契機に,塩商としての地位を強化し,揚州塩商の中核となった。彼らの業務は,塩商のほか,穀物商,絹織物商,綿布商,茶商から,海外貿易,金融,手工業経営にまでおよび,数種の営業を兼ねる者もあったが,主たる活動は流通部門にあった。…
※「塩商」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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