塩谷定好(読み)しおたにていこう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「塩谷定好」の意味・わかりやすい解説

塩谷定好
しおたにていこう
(1899―1988)

写真家。鳥取県東伯郡赤碕(あかさき)町(現琴浦(ことうら)町)の廻船(かいせん)問屋を営む家に生まれる。故郷である山陰地方の風物や人々の姿を一貫して撮り続け、絵画主義(ピクトリアリズム。絵画の主題や手法に準じる写真の様式)的な独自の作風を繰り広げた。少年期から、イーストマン・コダック社のベスト・ポケット・コダックカメラ(1912年に売り出され、写真の大衆化に貢献したことで名高いロールフィルム装填(そうてん)式の簡易カメラ)を愛用し、写真撮影に親しみはじめる。1917年(大正6)鳥取県立倉吉農学校卒業。19年赤碕でアマチュア写真サークル「ベストクラブ」を創設。1920年代以降、写真雑誌『カメラ』『アサヒカメラ』『フォトタイムス』などに作品を発表する。27年(昭和2)に写真家中島謙吉(1888―1972)の主宰する「芸術写真研究会」へ入会、また28年には写真家山本牧彦(1893―1985)らによる「日本光画協会」設立に参加した。

 塩谷の代表作としてとくに高く評価されているのは、1920年代から30年代にかけて制作された作品群であり、海沿いの町並み、海浜風景、身近にいた子供や女性たちのポートレート、籠に盛られた果物や魚、花などをおもな題材としていた。ソフト・フォーカス描写により、自然の風光を詩情豊かにとらえ、『天気予報のある風景』(1931)などの作品では、印画紙への引き伸ばしのプロセスで画面中の水平線をなだらかに湾曲させる「ディフォメーション」の特殊技法を用いた。また塩谷は、暗室処理を終えた写真印画に油絵用のメディウムとろうそくの油煙を混ぜ合わせたものを塗布して、画面暗部のグラデーション深みを出してゆく「描き起こし」とよばれる技法を独自に編み出し、プリント・ワークにおいても丹念で傑出した技量を示した。

 第二次世界大戦後も山陰地方のアマチュア写真界で指導的な役割を担いつつ、制作を続けた。1979年(昭和54)イタリアのボローニャ近代美術館ほかヨーロッパ各地を巡回した「今日の日本の写真とその起源」展、82年西ドイツ(当時)のケルン美術館で開催された「フォトグラフィ 1922―1982」展に出品、後者ではフォトキナ栄誉賞を受賞。83年日本写真協会功労賞受賞。

[大日方欣一]

『『塩谷定好名作集』(1975・日本写真出版)』『『海鳴りの風景――塩谷定好写真集』(1984・ニッコールクラブ)』『「米子写友会回顧展――芸術写真の時代 大正末期~昭和初期」(カタログ。1990・米子市美術館)』『高山正隆他撮影『日本の写真家5 高山正隆と大正ピクトリアリズム』(1998・岩波書店)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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