壬生城(読み)みぶじょう

日本の城がわかる事典 「壬生城」の解説

みぶじょう【壬生城】

栃木県下都賀郡壬生町にあった平城(ひらじろ)。室町・戦国時代の壬生(みぶ)氏の居城であり、江戸時代には壬生藩の藩庁が置かれた城である。1462年(寛正3)に壬生胤業によって築かれ、以後、壬生氏が4代にわたって居城とした。1576年(天正4)、城主の壬生綱雄が叔父周長により暗殺された。綱雄の子義雄は即座に周長を討ち取ったが、義雄はこれを機に、居城を沼城へと移し、壬生城へは城代を配した。義雄は1590年(天正18)の豊臣秀吉による小田原北条氏攻め(小田原の役)の際、北条方につき、北条氏の本城の小田原城に籠城、北条氏とともに討ち死にし、壬生氏は滅亡した。その後、壬生城には結城氏・日野根氏・阿部氏・三浦氏、松平氏、加藤氏に続き、鳥居忠英が1712年(正徳2)に近江水口(滋賀県)から3万石で入城し、以後鳥居氏が8代続いて明治に至った。廃藩後、城の建物は取り壊され、堀や土塁の多くも破壊された。壬生城は本丸、二の丸、三の丸、東曲輪(くるわ)、下台曲輪、正念寺曲輪の6つの郭で構成され、各郭は土塁と堀によって囲まれていた。天守や櫓(やぐら)は建てられず、比較的簡素な城郭だったが、本丸御殿は江戸時代初期には将軍日光社参宿舎として用いられた。現在、本丸と二の丸の一部が城址公園となっている。ここに本丸南側の土塁と空堀が残っており、二の丸虎口跡に復元門が建てられている。また、移築された城門鹿沼市と小山市内の民家に残っている。東武鉄道宇都宮線壬生駅から徒歩約15分。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

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