コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

壬生藩 みぶはん

3件 の用語解説(壬生藩の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

壬生藩
みぶはん

江戸時代,下野国 (栃木県) 寒川地方を領有した藩。慶長7 (1602) 年日根野吉明 (よしあきら) が1万 5000石で入封したのに始る。以後阿部氏2万 5000石,三浦氏2万 5000石,松平 (大河内) 氏3万 2000石,加藤氏2万 5000石を経て正徳2 (1712) 年以降鳥居氏が3万石で入封,廃藩置県にいたった。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

藩名・旧国名がわかる事典の解説

みぶはん【壬生藩】

江戸時代下野(しもつけ)国都賀(つが)郡壬生(現、栃木県壬生町)に藩庁をおいた、初め外様(とざま)藩、のち譜代(ふだい)藩。藩校は学習館。戦国大名だった壬生氏が1590年(天正(てんしょう)18)の豊臣秀吉(とよとみひでよし)による小田原征伐で後北条方について敗れ滅亡。関ヶ原の戦い後の1602年(慶長(けいちょう)7)に信濃(しなの)国高島から外様の日根野吉明(ひねのよしあきら)が1万900石で入封(にゅうほう)、立藩した。1635年(寛永(かんえい)12)に譜代の阿部忠秋(ただあき)が2万5000石で入り、以後、三浦氏、松平(大河内)氏、加藤氏が次々に入転封、1712年(正徳(しょうとく)2)に若年寄(わかどしより)の鳥居忠英(ただてる)が3万石で入って以後は、鳥居氏8代が明治維新まで続いた。忠英は名君として知られ、殖産興業を奨励して藩政の基礎を固めた。幕末に尊王攘夷をめぐって藩論が二分し大混乱したが、戊辰(ぼしん)戦争では新政府側についた。1871年(明治4)の廃藩置県により、壬生県を経て栃木県に編入された。

出典|講談社
(C)Kodansha 2011.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

壬生藩
みぶはん

下野(しもつけ)国都賀(つが)郡壬生(栃木県壬生町)に居所を置いた譜代(ふだい)藩。1590年(天正18)後北条氏方(ごほうじょううじかた)についた壬生義雄(よしかつ)が滅ぶと、壬生城は結城秀康(ゆうきひでやす)の支配下に組み入れられた。関ヶ原の戦い後、秀康が越前(えちぜん)国へ移ると、外様(とざま)の日根野吉明(ひねのよしあきら)が信州高遠(たかとお)から1万0900石で入封し当藩が成立。1634年(寛永11)に日根野氏が2万石で豊後(ぶんご)国府内(ふない)に移ると、翌年6月六人衆の阿部忠秋(ただあき)が2万5000石で入封。忠秋は在封中に老中に昇進、39年には5万石で武蔵(むさし)国忍(おし)に転封となった。そのあと同じ六人衆の三浦正次(まさつぐ)が2万5000石で入封。正次、安次(やすつぐ)、明敬(あきひろ)と在封するが、安次のとき5000石を弟長五郎(ちょうごろう)に分知、2万石となる。明敬は1689年(元禄2)若年寄となり、92年日向(ひゅうが)国延岡(のべおか)に移封。かわって松平(大河内(おおこうち))輝貞(てるさだ)が3万2000石で入封。輝貞は94年側用人(そばようにん)となり、1万石加増され4万2000石となり、翌年上野(こうずけ)国高崎へ5万2000石余で転封した。そのあと若年寄の加藤明英(あきひで)が近江(おうみ)国水口(みなくち)から入封したが、1712年(正徳2)嘉矩(よしのり)のときふたたび水口へ帰封し、入れ替わりに水口から若年寄の鳥居忠英(とりいただてる)が3万石で入封した。以来鳥居氏は8代にわたって在封し明治維新に至った。鳥居氏時代の藩領は下野国都賀郡内28か村、下総(しもうさ)国結城郡内19か村、猿島(さしま)郡内3か村、葛飾(かつしか)郡内1か村、大和(やまと)国葛下(かつげ)郡内4か村、播磨(はりま)国美嚢(みの)郡内24か村、加東(かとう)郡内4か村。1871年(明治4)忠文(ただふみ)のとき廃藩を迎えた。壬生県を経て栃木県に編入。[阿部 昭]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

壬生藩の関連キーワード下野市下野下野草穂咲下野しもつけ下野新聞栃木県下都賀郡都賀〈町〉伊能下野下野屋十兵衛

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone

壬生藩の関連情報