トルドー(読み)とるどー(英語表記)Pierre Elliott Trudeau

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「トルドー」の意味・わかりやすい解説

トルドー
Trudeau, Justin

[生]1971.12.25. オタワ
カナダの政治家。首相(在任 2015~ )。フルネーム Justin Pierre James Trudeau。父は長年にわたり首相を務めたピエール・トルドー。6歳の時に両親が離婚し,ひとり親となった父親に育てられた。モントリオールカレッジジャン・ブレブフ校で学んだのち,1994年マギル大学で英文学の学士号を取得。また,スノーボードインストラクターとして働きながら 1998年ブリティシュコロンビア大学で教育学士号を取得。その後,バンクーバー教職についた。2000年,28歳のときに父親の葬儀で述べた追悼の辞が感動的だとして,国中の注目を集めた。2002年,ケベック州に戻り,モントリオール大学で工学を,またマギル大学で環境地理学を学んだ。その間モントリオールのラジオ局で働き,2002~06年には父親が 1977年に設立した全国的な青年ボランティア組織「カティマビク」の理事長を務めた。2008年の総選挙カナダ自由党から立候補して当選。2011年再選され,自由党スポークスマンとして,若者多文化主義移民市民権などの問題やアマチュアスポーツの分野で活躍した。2013年,自由党党首に選出され,以来,自由党の党勢の回復に努めた。2015年の総選挙でスティーブン・ハーパー率いる保守党に勝利し,首相に就任した。

トルドー
Trudeau, Pierre Elliott

[生]1919.10.18. モントリオール
[没]2000.9.28. モントリオール
カナダの政治家。モントリオール大学で法学,ハーバード,パリ,ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの各大学で政治学,経済学を学ぶ。 1951~61年モントリオールで弁護士をするかたわら政治活動に従事。『シテ・リーブル』紙を共同創刊,編集し,1960年代におけるケベックの「静かな革命」を導く原動力となった。 61~65年モントリオール大学准教授となって憲法,市民の自由権などについて講義。 65年自由党下院議員として政界に入り,67年 L.ピアソン内閣法相。 68年自由党党首,首相。以後,79年に進歩保守党に政権を奪われたものの翌 80年には返り咲き,84年の政界引退まで計 16年間政権の座にあった。この間に,69年の公用語法の制定,70年の 10月危機 (ケベック解放戦線による法相誘拐殺人に対する非常事態法の発動) ,80年のケベック州民投票,82年の憲法移管と,きわめてドラマチックな状況にあって,終始分離主義に対抗して強力な連邦政府の実現に努めた。その功績は 20世紀カナダにおいて白眉ともいえるが,対米関係の悪化,財政赤字の増大,連邦・州関係の悪化など批判されるところも多かった。 84年の政界引退後も,ミーチ湖憲法協定あるいはシャーロッテタウン憲法協定に見られた改憲論議において積極的に発言し,国民世論の動向に影響を及ぼした。主著"Federalism and the French Canadians" (1968) ,"Les Cheminements de la Politique" (70) ,"Conversation with Canadians" (72) 。

トルドー
Trudeau, Garry

[生]1948.7.21. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ漫画家エール大学,エール芸術建築大学で学ぶ。在学中の 1968年,学内新聞に学生生活を茶化したコミック・ストリップ"Bull Tales"を描き始め,これが"Yale Daily News"に連載されて注目を浴びる。 1970年さらにこれを"Doonsbury"と改題して一般新聞に連載して人気を呼び,1975年コミック・ストリップとしては最初のピュリッツァー賞を受賞。多彩な人物が麻薬,ベトナム戦争ウォーターゲート事件などを背景に登場し,当時の世相を反映した。

トルドー
Trudeau, Edward Livingston

[生]1848.10.5. ニューヨーク
[没]1915.11.15. サラナックレイク
アメリカの医師,結核研究の先駆者。 1872年,ニューヨークで開業したが,まもなく肺結核にかかり,アディロンダック山中で闘病生活に入った。その体験から 84年,アディロンダック・コテジ・サナトリウム (のちのトルドー・サナトリアム) を開設,アメリカで初めて外気自然療法を実施した。さらに 94年,アメリカ最初の結核研究所であるサラナック研究所を創設した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「トルドー」の意味・わかりやすい解説

トルドー
とるどー
Pierre Elliott Trudeau
(1919―2000)

カナダの政治家。ケベック州モントリオール生まれのフランス系。モントリオール大学卒業後、1943年弁護士を開業。のちアメリカ、イギリス、フランスに留学。1961~1965年には母校の準教授を務めた。労働・人権問題に関心をもち、1950年代には月刊誌『自由市民』の共同編集者として論陣を張った。1965年ケベック州から下院議員(自由党)に当選。1967年ピアソン自由党内閣法相となり、カウンターカルチャーの風潮にのって人工妊娠中絶や同性愛に関する法律を緩めた。1968年4月ピアソン引退の後を継いで自由党党首に選ばれ、2週間後首相に就任。1968~1979年、1980~1984年と通算約16年在任した。1970年10月には中華人民共和国(中国)政府の台湾問題に関する主張に「留意するtake note」という表現で妥協した、いわゆる「カナダ方式」により中国との国交を樹立するなど対米自主外交を進めた。また、カナダの英仏両系住民の対立と抗争を解決するため両国語を公用語とし、1982年4月には連邦発足115年目にして自主憲法を制定させた。1971年に30歳年下のマーガレットと結婚(1984年離婚)するなど、公私ともに話題豊富な人物であった。長男のジャスティンJustin Trudeau(1971― )も2015年に首相となった。

[越智道雄 2019年2月18日]

『ピエール・エリオット・トルドー著、田中浩・加藤普章訳『連邦主義の思想と構造――トルドーとカナダの民主主義』(1991・御茶の水書房)』

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