日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
アファーマティブ・アクション
あふぁーまてぃぶあくしょん
affirmative action
アメリカ合衆国において、長年にわたって差別を受けてきた黒人をはじめとする少数人種諸集団や女性に対して、経済的・社会的地位の改善、向上を目的に、連邦政府や地方自治体、民間企業、大学などが進めてきた差別是正のための特別措置(積極的措置)の総称。政府の調達契約の一定部分を少数集団や女性が所有する企業に発注したり、少数集団や女性の進出が著しく立ち後れている職種へ優先的に採用、昇格を行ったり、大学入学の際に人種を考慮したりする、などが代表的な特別措置の事例である。このほか、1982年の投票権法の改正を受けて進められてきた少数集団の候補者が有利になるような選挙区の設定なども、政治の領域における一種の特別措置とみなすことができる。積年にわたる差別とその結果の是正には、法の下の平等や機会の均等という形式的平等の保障だけでは不十分、というのが特別措置を推進ないし容認する論拠であったのに対し、それは誤った優遇措置であり、白人や男性に対する逆差別になるとの批判も当初から根強く存在してきた。このため、特別措置の是非はしばしば裁判によって争われることになった。
特別措置をめぐる連邦最高裁判所の判例として有名なのは、教育の分野でのバーキ判決(1978)や雇用にかかわるウェーバー判決(1979)であり、そこでは差別の結果を是正する一つの方法として、人種を考慮に入れることは適法と判断された。しかるに、1990年代中葉の一連の判決は、人種の考慮については厳格な基準を設けるとともに、特別措置に対してより消極的ないし否定的判断を下す傾向にある。政府の調達契約をめぐる連邦最高裁判所のアダランダ判決(1995)、選挙区の線引きをめぐるショウ判決(1993)やミラー判決(1995)、またテキサス大学ロー・スクールの優先入学制度をめぐる第五巡回区控訴裁判所のホプウッド判決(1996)、雇用をめぐる第三巡回区控訴裁判所のタクスマン判決(1996)などがその代表的判例である。アファーマティブ・アクションの見直しや廃止を要求する組織的な動きも強まり、カリフォルニア州においては、州政府によるアファーマティブ・アクション政策の禁止を要求する住民提案209号が1995年に採択されている。
アファーマティブ・アクションをめぐって多くの混乱や批判が生じた最大の理由は、それが明確な理念にたって十分に練りあげられ、広く国民的合意の下で進められてきたものではなかった点に求められる。(1)人種差別と性差別という、歴史的経緯も差別の構造も異なるものを同一の方式で解決しようとしたこと、(2)差別を支えるもろもろの仕組みや制度に手をつけずに、その前提上で差別の解消を図ろうとしていること、(3)資本主義がもたらす階級的差別と人種差別との間の区別と関連に関する認識が欠落していること、などが今後検討されるべき理論上の課題である。さらに、アファーマティブ・アクションが一定の資格や条件を満たすものに対する施策という、限定的性格をもっていることを考えるとき、人種や性別にかかわらず多くのアメリカ国民が直面している貧困や失業、劣悪な居住環境をいかに改善するのかという、普遍的性格を有する施策との関連も、解明を迫られている重要な課題である。
[大塚秀之]
『今田克司著『アメリカにおけるアファーマティブ・アクションの概要と実際』(1992・日本太平洋資料ネットワーク)』