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段祺瑞(だんきずい)を首班とする中国北洋軍閥の一派。段派、皖(かん)系、安福派、安福クラブともよばれる。1916年袁世凱(えんせいがい)の死後、段祺瑞はその後継者として北京(ペキン)の実権を握ったが、直属の軍隊は弱小で、最大のライバルであった直隷派に対抗して日本の寺内内閣と結託、西原借款や日本軍将校の配属を受け、日華軍事協定を締結し、さらにロシア革命への干渉である日本のシベリア出兵にも参加した。1918年の国会選挙では、安福クラブが絶対多数を占めたが、翌1919年、国内の民主化を求め売国的外交政策に反対する五・四(ごし)運動によって国民的反撃にあい弱体化した。1920年7月、直隷派との安直戦争で敗北、段は1924年に臨時執政に返り咲いたが、もはや安徽派としての実体はなかった。
[加藤祐三]
北洋軍閥の一つ。段祺瑞(だんきずい)を領袖とする。段が安徽省の出身のため安徽派という。安徽派の政客集団を安福倶楽部(あんふくくらぶ)という。1917年段は内閣を率いて大総統馮国璋(ふうこくしょう)と対立した。この頃に安徽派という名が生まれた。その後,段は内に政客集団の交通系,研究系や奉天軍閥と結び,外に日本の支援を得て,直隷派を圧迫し,国会を牛耳った。しかし第一次世界大戦の終了とともに英米の圧力が加わり,また五・四運動でその売国政策が痛責され,20年ついに安直戦争に敗れ,段は3年間の政権の座からおろされた。28年国民革命軍のため,軍閥としての生命を失った。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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…北洋軍閥は華北・華中の要衝をおさえることにより,周辺の諸軍閥をしたがえたのである。袁世凱の死後,北洋軍閥は段祺瑞の安徽派と馮国璋の直隷派に分裂し,雲南,広西方面には陸栄廷,唐継尭らの西南軍閥が割拠した。ここに南北分裂がはじまり,北京の中央に対立する広東政府の登場をみる。…
※「安徽派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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