日本歴史地名大系 「大吉寺跡」の解説 大吉寺跡だいきちじあと 滋賀県:東浅井郡浅井町野瀬村大吉寺跡[現在地名]浅井町野瀬野瀬(のせ)集落の北東約二キロに位置する天吉寺(てんきちじ)山の西斜面、標高七五〇メートルの平坦部にあった天台宗寺院。寂寥山と号したという。近世に入って廃寺となった。県指定史跡。遺構は本堂を中心とする本坊にあたるもので、上段と下段に分れている。上段には礎石の配置から五間×五間の本堂、経堂・鐘楼などの存在が認められ、下段には経堂のほかに閼伽池が配置されていた。本坊のほかにも南西・南・北に子坊があったとされるが、遺構は確認されていない。〈近江・若狭・越前寺院神社大事典〉〔惣吉寺と天吉寺〕「大吉寺縁起」によれば、大吉寺の本尊観音菩薩はかつて粟津(あわづ)(現滋賀県大津市)の天吉寺という寺院の本尊であったという。この本尊は愛知(えち)川より琵琶湖に流れ出た観音像に似た「浮木」で、桓武天皇が夢告によって湖中から取上げて粟津に天吉寺を創建、これを祀ったものとされる。大同二年(八〇七)の洪水で同寺が破壊されたとき本尊だけは高島(たかしま)郡に漂着、のちに浅井(あざい)郡の草野(くさの)にいた安円(天台座主四世安恵の弟子)にもたらされ、寂寥山(天吉寺山)に祀られたのが当寺の始まりといい、当初は「貴賤男女、成就願望之故」をもって「惣吉寺」とよばれていたと伝える。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by