大吉寺(読み)だいきちじ

日本歴史地名大系 「大吉寺」の解説

大吉寺
だいきちじ

[現在地名]行橋市下稗田

長峡(ながお)川の北岸、南面して大分(だいぶ)八幡神社の西に並ぶ。大分山と号し、高野山真言宗。本尊は如意輪観音。天平九年(七三七)創建と伝える。天正年中(一五七三―九二)大友氏の兵火にかかったが、寛文元年(一六六一)浄春が再建。正徳二年(一七一二)小倉藩主から八反三畝余を寄進されたという(京都郡誌)。小倉領寺院聚録に大分山大吉寺、円通院と号するとみえる。「太宰管内志」によれば、大吉寺は往古大分社(現大分八幡神社)の社僧であったが、江戸時代後期には社務に関与していない。


大吉寺
だいきちじ

[現在地名]清洲町土田

字郷上切(ごうかみきり)にある。富士見山と号し、曹洞宗。本尊大日如来。創建を「府志」は久寿二年(一一五五)とし、「張州志略」は永享四年(一四三二)とする。開山は不詳。同一一年将軍足利義教が富士見遊覧の時、この寺で初めて富士山が見えたので富士見山の山号を与えられた。天文一五年(一五四六)の火災により全山烏有に帰したという(府志)。「寛文覚書」は山号を富見山とする。「清洲志」は、むかし大日(だいにち)堂といったが、足利尊氏・新田義貞の合戦の時に大日寺と改めた、織田信長が焼払ったなどの伝承を記し、天正一〇年(一五八二)には豊臣秀吉が社領二貫文を寄進した証文があると記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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