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大坪流 オオツボリュウ

デジタル大辞泉の解説

おおつぼ‐りゅう〔おほつぼリウ〕【大坪流】

馬術の流派の一。室町初期、大坪慶秀が始めたもの。

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世界大百科事典 第2版の解説

おおつぼりゅう【大坪流】

和式馬術の代表的流派。流祖は大坪式部大輔慶秀(すけひで)(広秀とも記し,道禅と号す。出自,生没年確説なし)。14世紀末~15世紀中ごろ,足利義満,義持に仕え,小笠原流を学んで名手となり大坪流を開いた。また鞍(くら),あぶみの製作でも有名。小笠原流が〈弓馬故実〉を中心としたのに対し,大坪流は馬術を専門として門戸を開放したので弟子が多く,技術論とともに精神論も確立。後代までいわゆる和式馬術流派中で最大の地位を占めた。

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大辞林 第三版の解説

おおつぼりゅう【大坪流】

馬術の一派。祖は大坪式部大輔慶秀すけひで。室町初期に始まる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大坪流
おおつぼりゅう

古流馬術の一つで、流祖は大坪慶秀(すけひで)(一に広秀、道禅と号す)。のちに佐々木流、上田流、荒木流など多くの支流を分岐し、八条流と並んで近世馬術の主流をなした。慶秀の技法の伝系については、いろいろな説があるが、それらを大別すると、(1)鹿島の神伝によって馬術の精妙を得、初め鹿島流と称し、のち大坪流と改めたもので、古今独歩というべきであるとする説、(2)慶秀は生国信州、小笠原信濃守政長(おがさわらしなののかみまさなが)(?~1365)についてこれを学び、政長の子長基に従って京都に上り、室町幕府に仕えて高名をはせたという、小笠原流よりの分岐説、(3)相州鎌倉の住人、湯山入道中原玄性(げんしょう)の伝を継いだ大吏国景より高麗(こうらい)流の馭術(ぎょじゅつ)を学び、ついに馭家三伝を発明して金鞭(きんべん)(極意の証(あかし))を得、一流を樹立するに至ったとする説などがある。
 慶秀のあと、村上加賀守永幸(かがのかみながゆき)(徳全)がこれを継承し、その門から遊佐河内入道、同孫左衛門、斎藤備前守(びぜんのかみ)国忠(芳連)らの逸材を出し、さらに室町末期には、のちに大坪流中興の祖といわれる斎藤安芸守好玄(あきのかみよしはる)(1500―72)が将軍足利義輝(あしかがよしてる)に伝書30巻を献じて天下無双と称された。その門から佐々木近江守義賢(おうみのかみよしかた)、細川左衛門佐康政(さえもんのすけやすまさ)(上田吉之丞重秀(しげひで)の師)、荒木志摩守元清らの名手を輩出し、江戸時代この門流が諸藩に普及する因をつくった。[渡邉一郎]
『『日本馬術史 第2巻』(1940・日本乗馬協会) ▽『日本武術大系第5巻 馬術』(1982・同朋舎出版)』

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