古流馬術の一つで、流祖は大坪慶秀(すけひで)(一に広秀、道禅と号す)。のちに佐々木流、上田流、荒木流など多くの支流を分岐し、八条流と並んで近世馬術の主流をなした。慶秀の技法の伝系については、いろいろな説があるが、それらを大別すると、(1)鹿島の神伝によって馬術の精妙を得、初め鹿島流と称し、のち大坪流と改めたもので、古今独歩というべきであるとする説、(2)慶秀は生国信州、小笠原信濃守政長(おがさわらしなののかみまさなが)(?~1365)についてこれを学び、政長の子長基に従って京都に上り、室町幕府に仕えて高名をはせたという、小笠原流よりの分岐説、(3)相州鎌倉の住人、湯山入道中原玄性(げんしょう)の伝を継いだ大吏国景より高麗(こうらい)流の馭術(ぎょじゅつ)を学び、ついに馭家三伝を発明して金鞭(きんべん)(極意の証(あかし))を得、一流を樹立するに至ったとする説などがある。
慶秀のあと、村上加賀守永幸(かがのかみながゆき)(徳全)がこれを継承し、その門から遊佐河内入道、同孫左衛門、斎藤備前守(びぜんのかみ)国忠(芳連)らの逸材を出し、さらに室町末期には、のちに大坪流中興の祖といわれる斎藤安芸守好玄(あきのかみよしはる)(1500―72)が将軍足利義輝(あしかがよしてる)に伝書30巻を献じて天下無双と称された。その門から佐々木近江守義賢(おうみのかみよしかた)、細川左衛門佐康政(さえもんのすけやすまさ)(上田吉之丞重秀(しげひで)の師)、荒木志摩守元清らの名手を輩出し、江戸時代この門流が諸藩に普及する因をつくった。
[渡邉一郎]
『『日本馬術史 第2巻』(1940・日本乗馬協会)』▽『『日本武術大系第5巻 馬術』(1982・同朋舎出版)』
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報