大学事典 「「大学公社」案」の解説
「大学公社」案
だいがくこうしゃあん
“University Corporation” concept
1962年(昭和37)に池田勇人内閣の下で進められた国立大学運営法案の検討に対し,東京工業大学助教授であった永井道雄(のち文部大臣)は,政府案に代わる国立大学改革案として,雑誌『世界』1962年10月号に「大学公社案の提唱」を発表し,国立大学を当時の専売公社や電電公社と同様の公社に移行することにより,大学の自治を強化するとともに,責任ある研究教育計画の実施や運営の効率化を図ることを提言した。この案では,一つの大学公社の下にすべての国立大学を置き,学外者を含む委員会組織が公社全体の管理運営を行うという想定であった。大学公社は,文部省等からの権限移譲により,日本の大学行政全体を担い,国立大学予算も特別会計として独自に管理することになっていた。
その後大学紛争が激化すると,永井は『中央公論』1969年6月号に「実験大学公社案」を発表し,再び「大学公社」案を世に問うた。このときは既存の国立大学を公社に転換するのではなく,それらの既存校と並立する形で新たに大学公社を設立し,両者の競争と緊張関係を生み出そうとする案になっている。永井による一連の論考は『大学の可能性』としてまとめられ,1969年に中央公論社から刊行された(第4回吉野作造賞)。制度設計の点で細部まで練り上げられた案とはいい難いものの,国立大学の設置形態について一般の関心を喚起した意義は小さくないといえる。
著者: 寺倉憲一
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報