日本大百科全書(ニッポニカ) 「大小切騒動」の意味・わかりやすい解説
大小切騒動
だいしょうぎりそうどう
1872年(明治5)8月山梨県で起こった大小切租法廃止に反対する一揆(いっき)。大小切とは、山梨・八代(やつしろ)・巨摩(こま)3郡で古くから行われていた租法で、貢租の3分の2(大切)は時価相場、3分の1(小切)は安石代(やすこくだい)(時価相場より安い石代で、ここでは1両につき4石1斗4升替え)による貢租の代金納制をいう。地租改正へ向け租法の統一を意図する政府は、安石代廃止の方針を打ち出し、72年8月8日、山梨県は大小切廃止を告示した。この日以後、各地の農民は撤回を求めて嘆願を繰り返し、ついに23日、山梨・八代2郡の栗原(くりばら)・万力(まんりき)筋97か村の農民約6000人が蜂起(ほうき)し、甲府へ押し寄せた。県は農民の要求を受け入れ譲歩したが、それは策略で、軍隊の出動を要請した県は、やがて静岡・東京鎮台から出動してきた軍隊の力を背景に、9月3日、先の譲歩を破棄し弾圧を開始した。11月10~13日には処刑が行われ、絞罪2人を含めその数は3772人に上った。この騒動は、後の地租改正反対一揆の前段階に位置するものである。
[近藤哲生]
『土屋喬雄・小野道雄編『明治初年農民騒擾録』(1953・勁草書房)』▽『和崎皓三著『大小切騒動覚書』(明治史料研究連絡会編『地租改正と地方自治制』所収・1956・御茶の水書房)』▽『有泉貞夫著『明治政治史の基礎過程』(1980・吉川弘文館)』