大巌寺(読み)ダイガンジ

日本歴史地名大系 「大巌寺」の解説

大巌寺
だいがんじ

[現在地名]中央区大巌寺町

生実おゆみ郷地区の北部にある。竜沢山玄忠院と号し、浄土宗で関東十八檀林の一つ。本尊阿弥陀如来。天文期(一五三二―五五)生実城主原胤栄夫妻が道誉貞把(のちの芝増上寺九世)を開山として創建したと伝える。あるいは玄忠げんちゆう院と称した小宇を再興したともいう。道誉流伝法の根本道場で、境内りゆうヶ沢にちなみ竜沢りゆうがさわ道場とも称した。永禄三年(一五六〇)頃に寺容が整備され、鎮守に愛宕社・わし明神などを勧請したという。当時学寮四〇軒余・寺領七〇貫であった。同一二年五月に禁制(寺蔵文書)を与えられており、諸国の武士貴賤を問わず惣門前では下馬することなど五ヵ条がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の大巌寺の言及

【関東十八檀林】より

…しかし最後にできた深川霊巌寺は24年(寛永1)の開山であるので,制度としての確立はそれ以降のことである。かくして成立した十八檀林は,開山の年代順に相模鎌倉光明寺,武蔵鴻巣勝願寺(埼玉県鴻巣市),常陸瓜連常福寺(茨城県那珂郡瓜連町),江戸芝増上寺,下総飯沼弘経寺(茨城県水海道市),下総小金東漸寺(千葉県松戸市),上総生実(おゆみ)大巌寺(千葉市),武蔵川越蓮馨寺(埼玉県川越市),武蔵滝山大善寺(東京都八王子市),武蔵岩槻浄国寺(埼玉県岩槻市),常陸江戸崎大念寺(茨城県稲敷郡江戸崎町),上野館林善導寺(群馬県館林市),下総結城弘経寺(茨城県結城市),江戸本所霊山(りようぜん)寺(東京都墨田区),江戸下谷幡随院(東京都小金井市,もと台東区浅草神吉町),江戸小石川伝通院,上野新田大光院(群馬県太田市),江戸深川霊巌寺(東京都江東区)である。学問所としての檀林はやがて幕府の寺院統制下で行政の一端をにない,一,二の変動はあったが宗教行政の中心となった。…

※「大巌寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android