大後美保(読み)ダイゴ ヨシヤス

20世紀日本人名事典 「大後美保」の解説

大後 美保
ダイゴ ヨシヤス

昭和期の産業科学評論家 成蹊大学名誉教授。



生年
明治43(1910)年11月8日

没年
平成12(2000)年7月25日

出生地
東京・牛込中里

別名
筆名=立花 保(タチバナ タモツ)

学歴〔年〕
東京帝国大学農学部農学科〔昭和10年〕卒

学位〔年〕
農学博士〔昭和21年〕

主な受賞名〔年〕
運輸大臣賞〔昭和21年〕「農業気象による研究」,日本農業気象学会賞〔昭和27年〕「農地微気象に関する研究」,岡田賞〔昭和41年〕「農業気象の普及並びに生活気象の開発への功績

経歴
昭和10年6月中央気象台に入り、11年12月気象台技手、13年4月中央気象台附属技術官養成所講師、14年11月気象技師、17年7月東京大学農学部講師、20年6月中央気象台研究部第四課長、21年2月中央気象台産業気象課長、29年6月産業気象研究会会長、38年4月日本農業気象学会会長を歴任。39年5月退職して、気象協会常務理事、39年6月産業科学学会会長、42年3月東北大学農学部講師、43年4月成蹊大学法学部教授、同年7月成蹊学園天文気象観測所長をつとめ、のち名誉教授。気象庁産業気象課長だった26年、サクラ開花予想発表を始めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大後美保」の意味・わかりやすい解説

大後美保
だいごよしやす
(1910―2000)

農業気象学者。東京に生まれ、1935年(昭和10)東京帝国大学農学部卒業。産業気象要員として中央気象台(現、気象庁)に入った。1946年(昭和21)「日本における主要農作物と気象との関係についての研究」で農学博士となり、運輸大臣賞も受けた。1952年日本農業気象学会賞、1954年日本農学会賞、1966年岡田賞受賞。1964年気象庁退官、成蹊(せいけい)大学教授を経て名誉教授。『日本作物気象の研究』『四季の農業気象』『植物生理気象学』『農地微気象の研究』『日本生物季節論』『農業気象と災害の防止』『工業天候』『都市気候学』など多くの著書がある。日本の農業気象学の確立から産業気象学への展開に功績があった。筆名立花保(たちばなたもつ)で随筆も書き、『おまつり時刻表』の著書がある。生活に結び付いた自然科学普及家としての活動でも知られた。日本農業気象学会と日本生気象学会の名誉会員でもあった。

石山 洋]

『『工業と天候』(1968・産業科学学会)』『『おまつり時刻表』(読売新書)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大後美保」の解説

大後美保 だいご-よしやす

1910-2000 昭和時代の気象学者。
明治43年11月8日生まれ。昭和10年中央気象台(現気象庁)にはいり,21年産業気象課長。26年からサクラの開花予想を発表。43年成蹊大教授。農業気象学の発展につくした。日本農業気象学会,産業科学学会の会長。平成12年7月25日死去。89歳。東京出身。東京帝大卒。著作に「新編農業気象学通論」など。

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367日誕生日大事典 「大後美保」の解説

大後 美保 (だいご よしやす)

生年月日:1910年11月8日
昭和時代の産業科学評論家。成蹊大学教授
2000年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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