改訂新版 世界大百科事典 「大御所政治」の意味・わかりやすい解説
大御所政治 (おおごしょせいじ)
前将軍が隠退後も在職中と同様の実権をもち,政治をとりつづけること。鎌倉時代初めは将軍の父の屋敷を大御所と呼んだが,やがて将軍の父その人,あるいは前将軍をも大御所と呼ぶようになった。大御所政治という言葉は,この点に着目して後世の史家が特定の大御所のそれについてつけた呼び名である。室町幕府3代将軍足利義満は将軍を義持に譲って京都北山の新邸に移ったのち,出家して官職に拘束されない自由な立場から実権を振るったが,これを大御所政治と呼ぶ史家は少ないようである。江戸幕府においても,初代家康,2代秀忠,8代吉宗,11代家斉の4人が大御所となり実権を握ったが,大御所政治といわれるのは,家康,家斉のそれに限られている。将軍を秀忠に譲って駿府城に移り住んだ家康の大御所の期間は1605-16年(慶長10-元和2)の12年間であるが,この間に豊臣氏の討滅,禁中並公家諸法度・武家諸法度の制定など徳川三百年の基礎が作られたのであり,大御所政治と呼ぶにふさわしいといえよう。秀忠も23年から32年(寛永9)まで大御所として文字どおり実権を握りつづけていたが,この事実はあまり知られておらず,大御所政治という人は少ない。吉宗は1745年(延享2)から51年(宝暦1)まで家重に代わって政治をとったが,家重が病弱で才能上の欠陥があったという理由があったためか,これも大御所政治とはいわれない。家斉の場合は1837-41年(天保8-12)の実質4年弱の期間であったにもかかわらず,大御所時代といわれるのは,将軍在職中の50年間を含めた彼の治世が,文化文政時代(化政期)と呼ばれる文化・社会の爛熟(らんじゆく)した様相を現出させ,後続する天保改革期の厳しい政治基調とあまりにも対比的であるからにほかならない。
執筆者:高木 昭作
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報