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第11代将軍徳川家斉(いえなり)の治世中の文化(ぶんか)・文政(ぶんせい)・天保(てんぽう)(1804~44)にわたる時期をいう。この時代は寛政(かんせい)の改革と天保の改革に挟まれ、幕政の緊張が緩んだ時期である。家斉は1787年(天明7)4月に将軍を襲職し、1837年(天保8)4月に将軍職を家慶(いえよし)に譲って大御所となったが、死ぬまで実権を握っていた。その初政には松平定信(さだのぶ)の主導する寛政の改革があり、定信退隠後の幕政は松平信明(のぶあきら)らの寛政の遺老により運営されたが、漸次家斉の影響が直接に幕政に及び、とくに水野忠成(ただあきら)が幕閣の中心となった文化末~天保初年には、改革期にみられた政治的緊張もなくなり幕政は緩んだ。同時に爛熟(らんじゅく)した大江戸文化が生まれた。しかし1805年(文化2)の関東取締出役(とりしまりしゅつやく)の設置、27年(文政10)の文政の改革、組合村の結成、積極的な貨幣改鋳などの政治が行われる一方、末期には天保の飢饉(ききん)が続き、大塩(おおしお)平八郎の乱をはじめ一揆(いっき)、打毀(うちこわし)が激発するなど、経済的、社会的に矛盾が進行して封建的危機が深刻化した。また鎖国下にあって、外交問題が生じ始めたのもこの時代の特徴である。
[山田忠雄]
江戸後期,11代将軍徳川家斉(いえなり)が退任したのち大御所を名のったことから,家斉が襲封した1787年(天明7)から死去する1841年(天保12)までをさすが,一般には寛政と天保の二つの幕政改革の間,すなわち文化・文政期をさすことが多い。幕政退廃の代名詞にも使われる。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…略して化政期ともいう。また,家斉が1837年(天保8)将軍職を家慶(いえよし)に譲り西の丸に退隠した後も,大御所と称して実権を握っていたため,将軍時代を含めた家斉一代の治世を大御所時代とも呼ぶ。
【時代の特色】
天明(1781‐89)から文化・文政をはさんで天保(1830‐44)にかかる約半世紀は,幕藩体制の解体期であり,太平の世相を謳歌(おうか)しながら,実は封建制の衰退が一段と深刻化した時期であった。…
※「大御所時代」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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