大御所時代(読み)オオゴショジダイ

デジタル大辞泉 「大御所時代」の意味・読み・例文・類語

おおごしょ‐じだい〔おほゴシヨ‐〕【大御所時代】

《徳川11代将軍家斉いえなりが職を退いたのちも大御所として実権を握っていたところから》寛政の改革から天保の改革に及ぶ時代。

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精選版 日本国語大辞典 「大御所時代」の意味・読み・例文・類語

おおごしょ‐じだいおほゴショ‥【大御所時代】

  1. 寛政の改革と天保の改革の中間の時代。江戸文化全盛をきわめた文化・文政一八〇四‐三〇)を中心とする時代。徳川第一一代将軍家斉が天保八年(一八三七将軍職家慶に譲ってからのちも、大御所として死ぬまで実権を握っていたところからいう。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大御所時代」の意味・わかりやすい解説

大御所時代
おおごしょじだい

文化文政時代,化政期ともいわれ,江戸時代後期,寛政の改革から天保の改革までの 11代将軍徳川家斉の治世をさす。家斉は天保8(1837)年,子家慶に職を譲ってのちも,なお大御所として幕閣に影響を与えたため,のちにその治世をも含めて大御所時代という。幕政面では文化14(1817)年を境として,老中松平信明の在職期間と,老中水野忠成(ただあきら)の在職期間に分けられる。前者はほぼ文化年間(1804~18)にあたり,譜代小大名の合議制による幕政の小康状態がみられるが,後者はほぼ文政年間(1818~30)にあたり,近習出頭人が幕政を推進し,田沼時代再来とさえ目される。文化期には大都市周辺の在方商業と都市の問屋商業との対立が進み,特に後者の独占化がみられるのに対し,文政期には,財政を補うための貨幣改鋳,農村復興,治安回復のための地方行政改革,貢租増徴などが幕政の中心におかれた。この時代にはまた,北から南から外圧が迫り,いわゆる異国船打払令シーボルト事件もみられた。また,江戸の町人社会では,寛政の改革粛正のあとに,独自の化政文化を生んだ。化政文化は,前代上方を中心として栄えた元禄文化とともに,町人層の華美,豪奢な風潮を示しているが,元禄文化のもつ清新活発な気風が失われ,賭博,富くじの盛況にみるように刹那的で,人目につかないところに趣味を凝らす卑屈,不合理な面が強く,一般に退廃的,享楽的傾向を示している。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大御所時代」の意味・わかりやすい解説

大御所時代
おおごしょじだい

第11代将軍徳川家斉(いえなり)の治世中の文化(ぶんか)・文政(ぶんせい)・天保(てんぽう)(1804~44)にわたる時期をいう。この時代は寛政(かんせい)の改革と天保の改革に挟まれ、幕政の緊張が緩んだ時期である。家斉は1787年(天明7)4月に将軍を襲職し、1837年(天保8)4月に将軍職を家慶(いえよし)に譲って大御所となったが、死ぬまで実権を握っていた。その初政には松平定信(さだのぶ)の主導する寛政の改革があり、定信退隠後の幕政は松平信明(のぶあきら)らの寛政の遺老により運営されたが、漸次家斉の影響が直接に幕政に及び、とくに水野忠成(ただあきら)が幕閣の中心となった文化末~天保初年には、改革期にみられた政治的緊張もなくなり幕政は緩んだ。同時に爛熟(らんじゅく)した大江戸文化が生まれた。しかし1805年(文化2)の関東取締出役(とりしまりしゅつやく)の設置、27年(文政10)の文政の改革、組合村の結成、積極的な貨幣改鋳などの政治が行われる一方、末期には天保の飢饉(ききん)が続き、大塩(おおしお)平八郎の乱をはじめ一揆(いっき)、打毀(うちこわし)が激発するなど、経済的、社会的に矛盾が進行して封建的危機が深刻化した。また鎖国下にあって、外交問題が生じ始めたのもこの時代の特徴である。

[山田忠雄]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「大御所時代」の解説

大御所時代
おおごしょじだい

江戸後期,11代将軍徳川家斉(いえなり)が退任したのち大御所を名のったことから,家斉が襲封した1787年(天明7)から死去する1841年(天保12)までをさすが,一般には寛政と天保の二つの幕政改革の間,すなわち文化・文政期をさすことが多い。幕政退廃の代名詞にも使われる。

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改訂新版 世界大百科事典 「大御所時代」の意味・わかりやすい解説

大御所時代 (おおごしょじだい)

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旺文社日本史事典 三訂版 「大御所時代」の解説

大御所時代
おおごしょじだい

文化・文政時代

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世界大百科事典(旧版)内の大御所時代の言及

【文化文政時代】より

…略して化政期ともいう。また,家斉が1837年(天保8)将軍職を家慶(いえよし)に譲り西の丸に退隠した後も,大御所と称して実権を握っていたため,将軍時代を含めた家斉一代の治世を大御所時代とも呼ぶ。
【時代の特色】
 天明(1781‐89)から文化・文政をはさんで天保(1830‐44)にかかる約半世紀は,幕藩体制の解体期であり,太平の世相を謳歌(おうか)しながら,実は封建制の衰退が一段と深刻化した時期であった。…

※「大御所時代」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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