大楽寺
だいらくじ
[現在地名]宇佐市南宇佐 大楽寺
宇佐神宮神橋の北方にあり、高野山真言宗。八幡宇佐宮大楽寺、あるいは医王山大楽寺と号する。本尊は弥勒仏。初めは西大寺流律宗寺院であったが、のち真言寺院となった。元弘三年(一三三三)に後醍醐天皇の勅願をもって建立された寺で、古くは江島別符内にあったと伝える。開基は宇佐大宮司到津公連、開山は奈良西大寺道密。寺地北側丘陵上に歴代住持および到津家の墓地がある。乙松名内に寺地を与えられているが、その四至をみると、宇佐盆地のうち寄藻川北岸の東半分は当寺の敷地であった。また同年公連が寄進した寺領は豊前国上毛郡節丸名(現福岡県豊津町など)一五町、同下毛郡野仲郷得犬名八町(現中津市)・豊後国国東郡都甲庄久末名(現豊後高田市)一五町・同安岐郷成久名(現安岐町)一三町など二国六郡一二ヵ所で、反別は九三町余に及んだ(以上、建武元年四月一五日「官宣旨」大楽寺文書など)。
大楽寺
だいらくじ
[現在地名]吉田町河内
河内川上流沿いの平地部を南に見下ろす山腹にある。金仙山と号し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。
「大楽寺系譜」によれば天正一九年(一五九一)、大楽院という天台宗の寺跡へ開基したもので、浄土真宗であった。大楽院の開基は明らかでない。開山は九州よりの落武者で俗名宇都宮弥三郎が出家した正永である。延宝九年(一六八一)の「吉田古記」によると、松葉山、西本願寺末、本尊阿弥陀と記されるが、宝暦一一年(一七六一)には東本願寺末に属した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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大楽寺
1489年につくられましたが、1871年に日輪寺[にちりんじ]といっしょになり、翌年に今の場所にうつされました。なお、毛利重就[もうりしげたか]の遺骨が分けられて、大楽寺におさめられ、石の塔がたてられています。
出典 ほうふWeb歴史館防府市歴史用語集について 情報
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