デジタル大辞泉 「大砲万右衛門」の意味・読み・例文・類語 おおづつ‐まんえもん〔おほづつマンヱモン〕【大砲万右衛門】 [1869~1918]力士。第18代横綱。宮城県出身。本名、角張万治。優勝2回。引退後、年寄待乳山まつちやま。→第17代横綱小錦 →第19代横綱常陸山ひたちやま 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
20世紀日本人名事典 「大砲万右衛門」の解説 大砲 万右衛門オオヅツ マンエモン 明治期の力士(第18代横綱) 生年明治2年11月28日(1869年) 没年大正7(1918)年5月27日 出生地磐城県刈田郡大鷹村三沢(現・宮城県白石市) 本名角張 万次 別名旧シコ名=三沢滝,年寄名=待乳山(マッチヤマ) 経歴初めに三沢滝、後大砲と改称。明治18年上京して尾車部屋に入門。20年1月初土俵、25年6月新入幕、26年1月小結に抜擢、32年5月大関に昇進、33年2場所全勝し、34年夏場所で第18代横綱となった。横綱時代は引き分けが多く、負けない横綱として“分け綱”の異名を取った。41年春場所後、引退。外見に似ず細心で、検査役として人望を集めた。幕内成績98勝29敗、51引分、4預かり、優勝2回。194センチ、132キロの巨漢だった。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「大砲万右衛門」の解説 大砲万右衛門 没年:大正7.5.27(1918) 生年:明治2.11.28(1869.12.30) 明治時代の力士。18代横綱。宮城県刈田郡三沢村(白石市)生まれ。本名角張万次。197cm,134kgの長身横綱で,引退直前の明治40(1907)年5月場所で9日間全部引き分けという珍記録を残し,横綱ではなく「分け綱」の異名をとった。明治17(1884)年尾車の門に入る。25年入幕,3勝6敗と負け越しながら次場所は小結に昇進。その後一進一退を続けたが32年大関。34年横綱を許された。取り口はスローモーだったが,右四つ左上手を引くとどんな相手でも攻めあぐんだ。幕内通算51引き分けを記録した。41年引退して待乳山を襲名,現役時代の不細工な相撲ぶりに似合わずなかなかの切れ者で,巡業の売り込みなどに手腕を発揮した。<参考文献>加藤進『歴代横綱物語』 (水野尚文) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大砲万右衛門」の解説 大砲万右衛門 おおづつ-まんえもん 1869-1918 明治時代の力士。明治2年11月28日生まれ。尾車部屋に入門し,明治20年初土俵。三沢滝,のち大砲を名のる。25年入幕,34年18代横綱。身長194cm,体重132kg。右四つを得意として2回優勝。41年引退し,年寄待乳山(まつちやま)を襲名。大正7年5月27日死去。50歳。磐城(いわき)刈田郡(宮城県)出身。本名は角張万治。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「大砲万右衛門」の解説 大砲 万右衛門 (おおずつ まんえもん) 生年月日:1869年11月28日明治時代の力士(第18代横綱)1918年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by