小錦八十吉(読み)コニシキヤソキチ

デジタル大辞泉 「小錦八十吉」の意味・読み・例文・類語

こにしき‐やそきち【小錦八十吉】

[1866~1914]力士。第17代横綱上総かずさの人。本名、岩井八十吉。明治中期に活躍。引退後、年寄二十山はたちやま。→第16代横綱西ノ海 →第18代横綱大砲おおづつ

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20世紀日本人名事典 「小錦八十吉」の解説

小錦 八十吉
コニシキ ヤソキチ

明治期の力士(第17代横綱)



生年
慶応2年10月15日(1866年)

没年
大正3(1914)年10月22日

出生地
上総国武射郡横芝村(現・千葉県山武郡横芝町横芝)

本名
岩井 八十吉

別名
年寄名=二十山 重五郎

経歴
高砂部屋入門、明治16年初土俵、21年入幕後39連勝、23年大関を経て、29年第17代横綱に昇進。34年1月引退し、年寄二十山を襲名。通算119勝24敗9分7預、立ち合いが速く、突き・押しを得意とした。また人柄の良さに人気があり、“小錦幟”は好評を博した。45年雷の次席取締をつとめ、大正2年別格年寄となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「小錦八十吉」の意味・わかりやすい解説

小錦八十吉【こにしきやそきち】

力士。米国ハワイ州オアフ島生れ。本名サレバ・ファウリ・アティサノエ(後に日本に帰化して塩田八十吉)。高校時代は,アメリカン・フットボールウェイトリフティングで活躍する。弁護士を志していたが,スカウトされて高砂部屋に入門。初土俵は1982年7月。1984年7月,20歳で入幕。巨体を生かした突き押し相撲により,1987年5月場所後に外国人としては初の大関昇進。1997年九州場所を最後に引退し,年寄〈佐ノ山〉を襲名。1998年日本相撲協会を退職し,以後KONISHIKIとしてタレント活動などを行う。優勝3回,三賞10回。270kgを超える体重は相撲史上最重量。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小錦八十吉」の解説

小錦八十吉(2代) こにしき-やそきち

1963- 昭和後期-平成時代の力士,タレント。
1963年12月30日アメリカのハワイ州生まれ。高見山(東関親方)にみいだされ,昭和57年高砂部屋へ入門。アメリカンフットボール仕込みの突き押しで,初土俵から13場所で59年入幕。62年外国人初の大関となる。270kgをこえる巨体をいかして優勝3回。平成5年大関陥落。9年引退し,年寄佐ノ山を襲名。10年タレントとなり,KONISHIKIを名のる。平成6年日本国籍を取得。ハワイ州出身。本名は塩田八十吉。旧名はサレバ=アティサノエ。

小錦八十吉(初代) こにしき-やそきち

1867-1914 明治時代の力士。
慶応3年10月15日生まれ。明治16年高砂部屋に入門。身長167cmの小兵ながら突っ張りを武器に,23年関脇(せきわけ)をへずに大関にのぼる。29年17代横綱。34年引退。幕内成績119勝24敗,優勝7回。大正3年10月22日死去。48歳。上総(かずさ)(千葉県)出身。本名は岩井八十吉。

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367日誕生日大事典 「小錦八十吉」の解説

小錦 八十吉 (こにしき やそきち)

生年月日:1866年10月15日
明治時代の力士(第17代横綱)
1914年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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