大神山神社奥宮(読み)おおがみやまじんじやおくみや

日本歴史地名大系 「大神山神社奥宮」の解説

大神山神社奥宮
おおがみやまじんじやおくみや

[現在地名]大山町大山

西楽さいらく院跡南東の高所にある。大己貴神を祭神とする大神山神社の奥宮で、本社は現米子市尾高おだかにある。ただし同社の奥宮となったのは神仏分離後で、明治八年(一八七五)以前は大智明だいちみよう権現(大山智明権現・大山権現)を祀る社であった。大神山(大山)は冬季積雪で奉仕不便のため、奈良中期の頃現在の奥宮を夏宮とし、冬宮を丸山まるやま(現岸本町)の大神谷に造営、夏宮を大智明権現、冬宮を二宮にのみや明神(現大神山神社本社)と称したとする説があるが(「県神社誌」など)、本来はまったく別個の社である。

大智明権現は大山信仰の中核をなす地蔵菩薩と同体異称とされる。「大山寺縁起」によれば、出雲玉作たまつくり猟師依道は美保みほの浦で海底より金色の狼が出てくるのを見つけ、狼を追って大山山中に入り、射殺そうとしたところ矢の前に地蔵菩薩が出現した。狼は老尼に姿を変え登欖尼という山の神であると名乗り、一緒に地蔵菩薩を祀るため獣に化身して依道を招いたのだと告げた。これを聞いた依道は発心出家して金連(金蓮)と号し、山中修行ののち釈迦如来を感得して南光なんこう院を、阿弥陀如来を感得して西明さいみよう院を開いたと伝える。同様の逸話は「撰集抄」にもみえ、俊方という猟師が射止めた鹿が地蔵に変わったため、俊方は改心出家して地蔵菩薩を祀った。その後称徳天皇のとき託宣により社に祀られ、大智明神とよばれたとある。「大山寺縁起」では、大山地蔵菩薩はやがて大山権現さらに大智明菩薩と称されるようになり、応和三年(九六三)村上天皇の宣旨により神殿に納められて大智明権現となったと記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

事典・日本の観光資源 「大神山神社奥宮」の解説

大神山神社奥宮

(鳥取県西伯郡大山町)
鳥取県民の建物百選指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

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