下山神社(読み)しもやまじんじや

日本歴史地名大系 「下山神社」の解説

下山神社
しもやまじんじや

[現在地名]大山町大山

大神山おおがみやま神社奥宮の末社で、同社左手(北側)のやや低い地にある。初め下山善神、のち下山明神と称され、下山護法神と記す資料もある。勧請の由来については下山縁起(大山寺文書)や「伯耆民談記」「大山雑記」などに述べられ、祭神についても諸説がある。このうち下山縁起によれば、備中の人渡辺源五郎照政の霊を祀るという。照政は智明ちみよう権現を崇拝し毎月備中より参詣に訪れていたが、元徳二年(一三三〇)参詣の帰途山麓下山野で鈴木某と争って殺された。遺骸は寺僧により下山に葬られたが、その霊が智明権現の使いと称する白狐となって現れ怪をなしたので、山徒らは祠を西明さいみよう院文殊堂の傍らに建て、下山善神として祀った。その後文和元年(一三五二)権現の右側五尺ほど低い地に小社を建つべしとの託宣により、本社横の現在地に小社が建てられた。このとき土中から十一面観音など数体の観音像が出土、照政は観音の権化であったとされ、これらの観音像は神体として当社に祀られたと伝える。


下山神社
しもやまじんじや

[現在地名]安来市安来町

中市場なかいちばにある。祭神照政霊神。天正一一年(一五八三)毛利輝元の命により吉川広家が伯耆国大山の下山神社(現鳥取県大山町)の祭神照政霊神の分霊を勧請したものという。「雲陽誌」に「下山明神 伯州大山下山明神を勧請す、毎月十八日神事あり、安来加茂の神主は下山の神職なり、天正九年毛利輝元の証文あり、故に毎歳四月九日登山して祭事を勤」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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