大脳生理学(読み)だいのうせいりがく(英語表記)brain physiology

日本大百科全書(ニッポニカ)「大脳生理学」の解説

大脳生理学
だいのうせいりがく
brain physiology

動物や人間の行動を支配する大脳の機能を研究する学問をいう。人間では意識、感情、記憶、注意といったさまざまな精神機能の形態学的基盤も研究の対象となる。

[鳥居鎮夫]

発展の歴史

人間の精神が大脳によってつくられるという考えは、古代ギリシアヒポクラテスがすでに書き残している。その後、プラトンは、われわれの精神を「神の精神」(理性や知性など)と「人間の精神」(情動、食欲、性欲など)とに分け、神の精神は大脳にあり、人間の精神は脊髄(せきずい)にあると主張している。ギリシアからアレクサンドリアに文明が移ると、プラトンの思想にかわってガレノスの「霊気(精気)説」が現れる。ガレノスによると、われわれの脳室の中には「精神の気」という霊気が蓄えられており、これが運動神経や感覚神経の管の中を流れていって筋肉や感覚器に到着し、運動や感覚をおこすという。この霊気説は18世紀の終わりころまで広く一般に信じられていた。しかし、19世紀になると大脳の解剖学的知識が進み、大脳の機能を実験的に研究しようとする機運が高まってきた。そのきっかけになったのは、18世紀後半にドイツの解剖・生理学者ガルF. J. Gall(1758―1828)が提唱した「骨相学」である。われわれの知能や性格は頭の形でわかると主張する骨相学そのものは、実験的根拠のない憶説であったが、精神機能は脳室でなくて大脳皮質に局在しているという思想を当時の人々に受け入れさせるのには役だった。やがて19世紀になると、フランスの医師で人類学者のブローカP. Brocaは、ことばを話せなくなった患者の脳を調べることによって、ことばを話す中枢(言語野)が左の大脳皮質にあることを確かめた(1861)。ついで1870年、ドイツの生理学者フリッチュG. T. FritschとヒッチヒE. Hitzigによって、イヌの脳で運動を支配する中枢(運動野)は、大脳皮質の限局した領域にあることが証明された。このイヌの実験は、最初の大脳皮質の生理学的実験として重要な意味をもっている。その後、人間の大脳皮質の機能局在がアメリカの脳外科医ペンフィールドW. G. Penfield(1891―1976)によって詳しく調べられた。一方、大脳皮質ばかりでなく脳幹部に対しても研究者の注意が向けられていった。ことにドイツの生理学者ゴルツF. L. Goltz(1834―1902)が、大脳皮質を取り除いたイヌを長く生かしておくことに成功したことは、精神機能に対する脳幹部の研究を推進させる力となった。さらに、イギリスの外科医ホーズリーV. A. H. Horsley(1857―1916)らによる脳定位固定装置の考案により、脳の中のどんな部位も自由に刺激したり破壊したりすることができるようになって、大脳生理学の実験的研究は非常に進んだ。そして、スイスの生理学者ヘスW. R. Hessやアメリカの解剖学者ランソンS. W. Ransonらの一連の研究によって、視床下部に情動行動を形成する生理学的機序(メカニズム)のあることが実験的に示されたほか、アメリカの脳生理学者マグーンらによって、意識の生理学的機序が脳幹の網様体にあることが発見された。

 大脳生理学の研究史のなかでユニークな立場にあるのは「条件反射学」である。ロシアの生理学者パブロフI. P. Pavlovは、唾液(だえき)分泌を指標として大脳皮質の機能を研究する方法を開発したが、それと独立にアメリカの心理学者スキナーB. F. Skinnerらによって、いわゆる「オペラント条件付けの方法」が開発され、随意行動を研究する道を開いた。

[鳥居鎮夫]

大脳生理学と科学技術

第二次世界大戦以降のエレクトロニクスやマイクロエレクトロニクスの開発に支えられて、大脳生理学の研究は飛躍的に進展し、大脳の機能の詳細がマクロ的(巨視的)にもミクロ的(微視的)にも解明されている。マクロ的には、内臓器官の働きを統御するホメオスタシス(生体恒常性)の機序、本能行動や情動行動の発現の機序、適応行動を支える情報処理・記憶・感覚・運動の発現の機序、創造性の発現の機序、意識(覚醒(かくせい)と睡眠、夢など)の機序などが明らかにされている。また、ミクロ的には、電子顕微鏡の所見を基礎にした神経細胞レベルの機能が明らかにされてきている。アメリカの神経生理学者のエバーツE. V. Evartsは、サルの頭蓋(とうがい)に特殊な電極を装着し、そのサルを訓練して一定の運動を学習させ、運動に伴う大脳皮質の神経細胞の活動を無麻酔の状態で記録する方法を開発した。大脳生理学の実験が麻酔した動物で行われていた時代では、連合野は沈黙の領域とよばれていたが、無麻酔の状態では連合野の神経細胞は適当な刺激を与えれば活発に反応することがわかり、大脳皮質の連合野の機能が飛躍的に明らかになった。

 大脳の中の神経経路やシナプスニューロン間、またはニューロンと筋線維間の接合部)の模様は、微小電極を用いる神経生理学的な方法や、髄鞘(ずいしょう)染色法、軸索染色法のような組織学的方法に電子顕微鏡を組み合わせることによって新しい知見が得られている。すなわち、モノアミンアセチルコリンなどが大脳内での化学伝達物質であることが明らかにされ、それらの生成や分解酵素などを染色したり、モノアミンに蛍光を発生させることによって、その存在を調べることができるようになった。さらに、オートラジオグラフィー、ペルオキシダーゼ法などの新技術も登場して、シナプス接続の模様がより詳細に調べられるようになった。

 人間のいろいろな精神活動に伴って、大脳ではどの部分の代謝が高まるのかを調べる方法として、大脳の局所血流を測定する方法や、ポジトロンCT(陽電子を用いたCTの一検査法)でグルコース代謝を測定する方法が開発された。これによって、ことばをしゃべっているときには、左半球の運動言語野の領域と聴覚野で血流量が増加する。また、動く対象を目で追いかけるときには、前頭眼野と視覚野で血流量が増加することが確かめられている。さらに、脳の局所グルコース代謝を測定する研究では、小説を読んで聴かせると、左半球の前頭葉と側頭葉のグルコース代謝が増加することがみいだされている。このほか、これらの脳の局所血流量やグルコース代謝は、覚醒時と比べて睡眠時に低下すること(とくに前頭葉において著しい)が明らかにされている。

 最近のコンピュータの進歩は、人に光、音、あるいは皮膚の電気刺激を与え、大脳皮質のそれぞれの感覚野における誘発電位の測定を可能にした。さらには、運動に先行する運動準備電位、期待や注意しているときに現れる陰性付随電位など、いわゆる事象関連電位をも記録できるようになった。これらによって、人間の注意、意欲、認識といった高等な精神機能の研究も大きく進んでいる。また、てんかんの治療のために交連線維が切断され、左右大脳半球が独立に働く分離脳患者の研究から、左半球と右半球がそれぞれ違った精神機能をもっていることがわかってきた。つまり、分離脳の研究によって、心とか自己意識などの高等な精神機能も大脳との関連で考えることができるようになってきたわけである。

[鳥居鎮夫]

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