日本歴史地名大系 「大部庄・大部郷」の解説
大部庄・大部郷
おおべのしよう・おおべごう
建久八年六月一五日の重源譲状案によると、大部庄は往古の寺領で長年廃絶していたのを、造東大寺大勧進職の重源が後白河法皇に申請して東大寺の復興造営に従事していた宋人の大工陳和卿に与え、和卿は東大寺に寄進し重源の進止となった。以後重源の庄開発と播磨別所浄土堂の建設が始まり、庄経営にあたる預所職には如阿・観阿が任じられた。重源の開発事業は公武の庇護を得、正治二年(一二〇〇)八月日の後鳥羽院庁下文案では浄土堂を祈祷所にし、建仁三年(一二〇三)五月一七日の将軍源頼家家政所下文案では大部庄と
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報