日本大百科全書(ニッポニカ) 「大野誠夫」の意味・わかりやすい解説
大野誠夫
おおののぶお
(1914―1984)
歌人。茨城県生まれ。龍ヶ崎中学校卒業。『ささがに』『短歌至上主義』を経て、1946年(昭和21)『鶏苑(けいおん)』を創刊する。1947年に新歌人集団結成に参加し、戦後派として活動する。1951年に第一歌集『薔薇祭(ばらさい)』を出版、敗戦後の都市風俗をドラマチックに表現して話題をよんだ。大野は初め画家を志し、また映画好きでもあったことから、その作品の人物設定や場面構成などには多分に虚実が入り交じり、浪漫(ろうまん)的、幻想的な美の世界が現れている。だが、風俗派、虚構派、芸術派などともよばれる一方で、離婚による愛児との別れの悲哀を率直に歌うなど、人生派、現実派としての風貌(ふうぼう)も濃厚である。1953年に『鶏苑』を廃刊し、『砂廊』を創刊。1960年『砂廊』を『作風』と改組。歌集は『薔薇祭』『行春館雑唱』『胡桃(くるみ)の枝の下』『水観』など10冊。自叙伝『或(あ)る無頼(ぶらい)派の独白』(1982)がある。
[日高堯子]
数知れぬ爬虫(はちゅう)の背(せな)は濡れながら薔薇腐れゆく垣をめぐりぬ
『『大野誠夫全歌集』(1980・沖積舎)』▽『上田三四二著『現代歌人論』(1969・読売新聞社)』