大阿母御嶽(読み)ほーるざーうがん

日本歴史地名大系 「大阿母御嶽」の解説

大阿母御嶽
ほーるざーうがん

[現在地名]石垣市平得

平得(ひらえ)集落の中央部にある。石垣で囲われた嶽域後方部にはフクギが生えているが、前方部には目立った樹木はない。マイヌウガン(前の御嶽)ともよばれる。八重山の初代大阿母多田屋オナリの墓が崇敬され御嶽となったという。当御嶽は「琉球国由来記」にはみえないが、平得の豊年祭・結願祭・種子取祭などで中心となる御嶽である。南側正面に鳥居が立ち、その左右には芸能などを奉納するとき神職や役員などが座る桟敷が設けられている。鳥居をくぐるとすぐに四、五〇平方メートル程度の狭い神庭があり、木造瓦葺の拝屋がある。拝屋の左右には神棚が設けられ、それぞれに香炉・花瓶・灯明が設置されている。拝屋の一間ほど奥に階段状に三段重ねで構成されたコンクリート製の方墳がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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