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金九 きんきゅうKim Ku

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

金九
きんきゅう
Kim Ku

[生]高宗13(1876).7.11. 黄海道,海州
[没]1949.6.27. ソウル
韓国の独立運動家,政治家。本名は亀,昌洙,号は白凡。 18歳で東学党に加入し,高宗 31 (1894) 年甲午農民戦争では八峰都所の指揮官として海州城を攻略。建陽1 (96) 年京城事変 (閔妃殺害事件) の報復として日本人将校を殺害。服役中に脱獄し,僧侶となって身を隠したのち教育にたずさわった。隆煕4 (1910) 年日韓合併とともに秘密結社新民会に参加,翌年寺内正毅総督暗殺計画容疑者として投獄。 1919年三・一運動ののち上海亡命し,大韓民国臨時政府の警務局長になり,以後僑民団長,臨時政府の国務領または主席 (いずれも首班) として独立運動を続けた。ときにはテロ工作もはかり,決死団の韓人愛国団を組織して 32年の桜田門天皇狙撃未遂事件,上海虹口公園天長節記念式投弾事件などを起した。 45年臨時政府の主席として帰国したが,アメリカ軍政庁からは政府としての正統性を認められず,韓国独立党委員長として信託統治反対運動を主導するなど,右翼過激派としてしばしば占領当局と対立した。 46年民主議院副議長 (のちに総理) として一時イ・スンマン (李承晩) と協力したが,48年南朝鮮での単独選挙に反対してイ・スンマンとも対立し,金奎植とともに南北協商のため北朝鮮を訪問,失意のうちに引退。 49年韓国人の将校に暗殺された。主著は自叙伝『白凡逸志』 (46) 。

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デジタル大辞泉の解説

キム‐グ【金九】

[1876~1949]朝鮮の政治家・独立運動家。号は白凡(ベクボム)。甲午農民戦争に参加。三・一独立運動の後は上海に亡命し、大韓民国臨時政府の最高指導者として活動。第二次大戦後は南北統一運動を展開したが、李承晩(イスンマン)と対立し、暗殺された。自叙伝「白凡逸志(はくはんいっし)」を残した。きんきゅう。

きん‐きゅう〔‐キウ〕【金九】

キム=グ

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百科事典マイペディアの解説

金九【きんきゅう】

韓国の政治家。早くからテロ活動を含む反日独立運動により注目され,1919年上海に亡命し大韓民国臨時政府の要職を歴任ののち,分裂と混乱の中でただ一人その活動を維持した。
→関連項目尹奉吉呂運亨

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

金九 きん-きゅう

キム-グ

金九 キム-グ

1876-1949 朝鮮の独立運動家。
高宗13年7月11日生まれ。1894年甲午(こうご)農民戦争(東学党の乱)に参加。1896年日本人中尉を殺害,投獄されたが,1898年脱獄。1919年三・一独立運動後上海に亡命。大韓民国臨時政府に参加,政府主席などをつとめる。日本の敗戦後の1945年に帰国し韓国独立党党首となり,統一朝鮮の完全自主独立を主張して李承晩(イ-スンマン)と対立,1949年6月26日暗殺された。74歳。黄海道出身。号は白凡。

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世界大百科事典 第2版の解説

きんきゅう【金九 Kim Gu】

1876‐1949
朝鮮の独立運動家。号は白凡。黄海道出身。18歳で甲午農民戦争に参加。1896年,日本人による閔妃(びんひ)虐殺事件を憤り,日本人陸軍中尉を斬殺して投獄されたが,98年脱獄。〈日韓保護条約〉締結後黄海道安岳で教師となり新民会運動に参加。1911年黄海道一帯の人士に対する弾圧事件(安岳事件)で3年余り入獄。三・一独立運動勃発後上海に渡り大韓民国臨時政府(臨政)に参画,警務局長,内務総長を経て26年国務領となり臨政の最高責任者になった。

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大辞林 第三版の解説

キムグ【金九】

1876~1949) 朝鮮の政治家。甲午農民戦争に参加。三・一運動後、上海に亡命、韓国臨時政府の要職に就き、解放後、韓国独立党委員長になったが、のち李承晩と対立、暗殺された。きんきゅう。

きんきゅう【金九】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

金九
きんきゅう / キムグ
(1876―1949)

朝鮮の政治家、独立運動の指導者。黄海南道(こうかいなんどう/ファンヘナムド)海州(かいしゅう/ヘーチュ)出身。貧農の家に生まれ、1894年甲午(こうご)農民戦争に参加、海州の先鋒(せんぽう)として活躍。日清(にっしん)戦争後、日本人による閔妃(びんひ)殺害事件(乙未(いつみ)事変)に憤激、1896年日本軍将校を殺害し、投獄されたが脱獄した。僧侶(そうりょ)となり、教育事業に従い、反日運動に挺身(ていしん)した。1911年寺内正毅(まさたけ)総督暗殺未遂事件の容疑者として逮捕、1914年に仮釈放された。1919年、三・一独立運動後、上海(シャンハイ)に亡命、大韓民国臨時政府に参加、警務局長、内務総長、政府主席を歴任した。1932年(昭和7)李奉昌(りほうしょう)を東京に派遣して天皇暗殺を謀り、また尹奉吉(いんほうきつ)をして上海爆弾事件を決行させた。蒋介石(しょうかいせき)の率いる中国国民党と行をともにし、1940年重慶(じゅうけい)で韓国光復軍を組織、解放の日に備えた。1945年11月帰国、韓国独立党党首となり、1948年、南朝鮮の単独選挙に反対、平壌(ピョンヤン)での南北政党社会団体連席会議に出席、朝鮮の分断回避、統一達成に尽力した。1949年、李承晩(りしょうばん/イスンマン)派の陸軍将校に暗殺された。[中塚 明]
『梶村秀樹訳注『白凡逸志――金九自叙伝』(平凡社・東洋文庫)』

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世界大百科事典内の金九の言及

【大韓民国臨時政府】より

…しかし臨政は上海派とシベリア派の対立,安昌浩と李承晩の対立など指導者間の対立抗争もあって混乱が続き,23年国民代表会議の決裂後急速に勢力が弱まった。25年大統領李承晩の弾劾免職後,臨政を率いたのは金九であった。金九は32年李奉昌と尹奉吉(いんほうきつ)による相つぐ抗日テロ事件を引き起こし,また33年には蔣介石と対日戦線協力で合意をみた。…

【朝鮮信託統治問題】より

…この信託統治案は日本の植民地支配の下で苦しみ,ようやく独立をかちとった朝鮮民族に強い衝撃を与えた。金九ら中国から帰国した大韓民国臨時政府(臨政)グループはただちに信託統治反対国民総動員運動委員会を結成,他の政党・団体も信託統治反対を声明し,連日〈反託〉デモを展開,31日の集会・デモは空前の規模に達した。だが翌46年1月2日朝鮮共産党は,突然,信託統治支持を表明,3日には独自に三国外相会議決定支持大会を開催。…

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