金九(読み)キムグ

デジタル大辞泉 「金九」の意味・読み・例文・類語

キム‐グ【金九】

[1876~1949]朝鮮の政治家・独立運動家。号は白凡ベクボム甲午農民戦争に参加。三・一独立運動の後は上海に亡命し、大韓民国臨時政府最高指導者として活動。第二次大戦後は南北統一運動を展開したが、李承晩イスンマンと対立し、暗殺された。自叙伝白凡逸志はくはんいっし」を残した。きんきゅう。

きん‐きゅう〔‐キウ〕【金九】

キム=グ

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精選版 日本国語大辞典 「金九」の意味・読み・例文・類語

きん‐きゅう‥キウ【金九】

  1. 朝鮮の政治家。一九一一年寺内総督の暗殺事件に連座して投獄され、出獄後中国に亡命、独立運動に従う。四五年朝鮮解放後、韓国独立党を結成。のち李承晩と対立し、暗殺された。キム=グ。(一八七六‐一九四九

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「金九」の意味・わかりやすい解説

金九
きんきゅう / キムグ
(1876―1949)

朝鮮の政治家、独立運動の指導者。黄海南道(こうかいなんどう/ファンヘナムド)海州(かいしゅう/ヘーチュ)出身。貧農の家に生まれ、1894年甲午(こうご)農民戦争に参加、海州の先鋒(せんぽう)として活躍。日清(にっしん)戦争後、日本人による閔妃(びんひ)殺害事件(乙未(いつみ)事変)に憤激、1896年日本軍将校を殺害し、投獄されたが脱獄した。僧侶(そうりょ)となり、教育事業に従い、反日運動に挺身(ていしん)した。1911年寺内正毅(まさたけ)総督暗殺未遂事件の容疑者として逮捕、1914年に仮釈放された。1919年、三・一独立運動後、上海(シャンハイ)に亡命、大韓民国臨時政府に参加、警務局長、内務総長、政府主席を歴任した。1932年(昭和7)李奉昌(りほうしょう)を東京に派遣して天皇暗殺を謀り、また尹奉吉(いんほうきつ)をして上海爆弾事件を決行させた。蒋介石(しょうかいせき)の率いる中国国民党と行をともにし、1940年重慶(じゅうけい)で韓国光復軍を組織、解放の日に備えた。1945年11月帰国、韓国独立党党首となり、1948年、南朝鮮の単独選挙に反対、平壌(ピョンヤン)での南北政党社会団体連席会議に出席、朝鮮の分断回避、統一達成に尽力した。1949年、李承晩(りしょうばん/イスンマン)派の陸軍将校に暗殺された。

[中塚 明]

『梶村秀樹訳注『白凡逸志――金九自叙伝』(平凡社・東洋文庫)』

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改訂新版 世界大百科事典 「金九」の意味・わかりやすい解説

金九 (きんきゅう)
Kim Gu
生没年:1876-1949

朝鮮の独立運動家。号は白凡。黄海道出身。18歳で甲午農民戦争に参加。1896年,日本人による閔妃(びんひ)虐殺事件を憤り,日本人陸軍中尉を斬殺して投獄されたが,98年脱獄。〈日韓保護条約〉締結後黄海道安岳で教師となり新民会運動に参加。1911年黄海道一帯の人士に対する弾圧事件(安岳事件)で3年余り入獄。三・一独立運動勃発後上海に渡り大韓民国臨時政府(臨政)に参画,警務局長,内務総長を経て26年国務領となり臨政の最高責任者になった。臨政の活動が満州事変後いっそう困難さを増すなかで,彼は抗日テロリズムによる局面打開をはかり,32年に李奉昌による桜田門事件尹奉吉(いんほうきつ)による上海虹口公園爆弾事件を引き起こした。日本政府は金の首に巨額の懸賞金をかけたが,彼は中国各地を転々とし,40年臨政とともに重慶に入った。彼はそこで韓国光復軍を創設し本国進撃に備えたが,45年8月日本の降伏を迎えた。解放時彼は臨政主席の地位にあったが,アメリカ軍政庁が臨政の正統性を否認したため,同年11月一亡命者として帰国。不屈の独立闘士として多くの尊敬を集め,朝鮮信託統治反対運動の先頭に立った。左右の激しい対立のなかで〈右翼の巨頭〉と目されながらも,アメリカや李承晩の南朝鮮単独政府樹立計画にも反対し,一貫して統一朝鮮の完全自主独立を主張した。48年平壌での南北政党社会団体連席会議(南北協商)に参加。翌年,李承晩が放ったといわれる軍人に暗殺された。自伝《白凡逸志》は邦訳もある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「金九」の意味・わかりやすい解説

金九
きんきゅう
Kim Ku

[生]高宗13(1876).7.11. 黄海道,海州
[没]1949.6.27. ソウル
韓国の独立運動家,政治家。本名は亀,昌洙,号は白凡。 18歳で東学党に加入し,高宗 31 (1894) 年甲午農民戦争では八峰都所の指揮官として海州城を攻略。建陽1 (96) 年京城事変 (閔妃殺害事件) の報復として日本人将校を殺害。服役中に脱獄し,僧侶となって身を隠したのち教育にたずさわった。隆煕4 (1910) 年日韓合併とともに秘密結社新民会に参加,翌年寺内正毅総督暗殺計画容疑者として投獄。 1919年三・一運動ののち上海に亡命し,大韓民国臨時政府の警務局長になり,以後僑民団長,臨時政府の国務領または主席 (いずれも首班) として独立運動を続けた。ときにはテロ工作もはかり,決死団の韓人愛国団を組織して 32年の桜田門天皇狙撃未遂事件,上海虹口公園天長節記念式投弾事件などを起した。 45年臨時政府の主席として帰国したが,アメリカ軍政庁からは政府としての正統性を認められず,韓国独立党委員長として信託統治反対運動を主導するなど,右翼過激派としてしばしば占領当局と対立した。 46年民主議院副議長 (のちに総理) として一時イ・スンマン (李承晩) と協力したが,48年南朝鮮での単独選挙に反対してイ・スンマンとも対立し,金奎植とともに南北協商のため北朝鮮を訪問,失意のうちに引退。 49年韓国人の将校に暗殺された。主著は自叙伝『白凡逸志』 (46) 。

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百科事典マイペディア 「金九」の意味・わかりやすい解説

金九【きんきゅう】

韓国の政治家。早くからテロ活動を含む反日独立運動により注目され,1919年上海に亡命し大韓民国臨時政府の要職を歴任ののち,分裂と混乱の中でただ一人その活動を維持した。不屈の民族独立運動家,民主的指導者として現在でも韓国の歴代政治家で最も尊敬を集める人物である。1945年解放後帰国,李承晩と並ぶ右派の中心人物となったが,1948年以降南北朝鮮の自主統一を唱えて李と対立,暗殺される。自伝《白凡逸史》は,独立運動の経緯と遍歴時代に観察した朝鮮半島の民衆生活誌を生き生きと描いた,自伝文学の傑作である。日本語訳が平凡社の東洋文庫に収録されている。
→関連項目尹奉吉呂運亨

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「金九」の解説

金九 キム-グ

1876-1949 朝鮮の独立運動家。
高宗13年7月11日生まれ。1894年甲午(こうご)農民戦争(東学党の乱)に参加。1896年日本人中尉を殺害,投獄されたが,1898年脱獄。1919年三・一独立運動後上海に亡命。大韓民国臨時政府に参加,政府主席などをつとめる。日本の敗戦後の1945年に帰国し韓国独立党党首となり,統一朝鮮の完全自主独立を主張して李承晩(イ-スンマン)と対立,1949年6月26日暗殺された。74歳。黄海道出身。号は白凡。

金九 きん-きゅう

キム-グ

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旺文社世界史事典 三訂版 「金九」の解説

金 九
キムク
Kim Ku

1876〜1949
朝鮮独立運動の指導者
三・一運動の後,中国における亡命政府である李承晩 (イスンマン) 首班の大韓民国臨時政府に参加し,1925年に首班となった。1930年代には抗日テロ活動を指導したが,日本降伏後にアメリカから臨時政府の正統性を否定された。あくまで統一朝鮮を主張したが,1949年に暗殺された。

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367日誕生日大事典 「金九」の解説

金 九 (きん きゅう)

生年月日:1876年7月11日
朝鮮の独立運動家,政治家
1949年没

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世界大百科事典(旧版)内の金九の言及

【大韓民国臨時政府】より

…しかし臨政は上海派とシベリア派の対立,安昌浩と李承晩の対立など指導者間の対立抗争もあって混乱が続き,23年国民代表会議の決裂後急速に勢力が弱まった。25年大統領李承晩の弾劾免職後,臨政を率いたのは金九であった。金九は32年李奉昌と尹奉吉(いんほうきつ)による相つぐ抗日テロ事件を引き起こし,また33年には蔣介石と対日戦線協力で合意をみた。…

【朝鮮信託統治問題】より

…この信託統治案は日本の植民地支配の下で苦しみ,ようやく独立をかちとった朝鮮民族に強い衝撃を与えた。金九ら中国から帰国した大韓民国臨時政府(臨政)グループはただちに信託統治反対国民総動員運動委員会を結成,他の政党・団体も信託統治反対を声明し,連日〈反託〉デモを展開,31日の集会・デモは空前の規模に達した。だが翌46年1月2日朝鮮共産党は,突然,信託統治支持を表明,3日には独自に三国外相会議決定支持大会を開催。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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