精選版 日本国語大辞典 「大音寺」の意味・読み・例文・類語 だいおん‐じ【大音寺】 [ 一 ] 東京都台東区龍泉一丁目にある浄土宗の寺。山号は正覚山。江戸時代、新吉原の遊女の投込寺(埋葬所)であった。寝釈迦寺。[ 二 ] 長崎市鍛冶屋町にある浄土宗の寺。山号は正覚山。慶長一九年(一六一四)伝誉がキリシタンの教化のために草庵中道院を営んだのに始まる。元和三年(一六一七)堂宇を創建し現山号に改めた。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本歴史地名大系 「大音寺」の解説 大音寺だいおんじ 長崎県:長崎市長崎町今籠町大音寺[現在地名]長崎市鍛冶屋町出来鍛冶屋(できかじや)町の東にある。正覚山中道院と号し、浄土宗。本尊は阿弥陀如来。慶長一九年(一六一四)開基の伝誉関徹が古(ふる)町の伊勢屋伝之丞屋敷内に建立した小庵の中道(ちゆうどう)院を前身とすると伝える(「長崎古今集覧」など)。あるいは元和二年(一六一六)本博多(ほんはかた)町のキリシタン寺焼捨ての跡を与えられ、同三年に諸堂塔の造営がなったともいう(長崎志)。伝誉は筑後三潴(みづま)郡安武(やすたけ)城(現福岡県久留米市)城主の安武八郎の子で、同氏の離散後に瀬高(せたか)(現同県瀬高町)の来迎(らいごう)寺三世の証誉の弟子となり、法縁の叔父である野母崎(のもざき)(現野母崎町)の蔵徳(ぞうとく)寺の住持城誉(定誉)に身を寄せ、のち長崎を訪れ、中道院を拠点に浄土宗の布教を行っていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報