天津教案(読み)てんしんきょうあん(その他表記)Tian-jin jiao-an; T`ien-chin chiao-an

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「天津教案」の意味・わかりやすい解説

天津教案
てんしんきょうあん
Tian-jin jiao-an; T`ien-chin chiao-an

中国,清末の反キリスト教暴行事件アヘン戦争後,天津天主教会は育嬰堂を経営し,孤児や捨て子を収容していたが,民衆の間に教会が子供の心臓目玉をくりぬくなどの噂が広がり,同治9 (1870) 年5月 23日天主教会への打ちこわしが始った。フランス領事 H.V.ホンタニエルをはじめ外国人 20名,中国人信者 50名が殺害され,領事館,教会などが破壊された。戦争にもなりかねない大事件であったが,ドイツイタリアの統一戦争に巻込まれていたフランスは賠償を取るにとどまった。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「天津教案」の解説

天津教案(てんしんきょうあん)

清末,1870年に起こった,天津住民のフランス・カトリック教会襲撃事件。この事件は当時全国に広がっていたキリスト教排斥運動の影響によるものであったが,直接の原因は,フランス教会経営の孤児院に対する児童誘拐の嫌疑にあった。これに対する清仏両国当事者の処置が悪かったために一層民衆の疑惑を深め,排外派の扇動も加わって暴動に発展し,フランス領事はじめ,教会関係者,商人など外人20余名,中国人のキリスト教信者50余名が惨殺された。

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旺文社世界史事典 三訂版 「天津教案」の解説

天津教案
てんしんきょうあん

1870年に天津で起こったキリスト教排斥運動
1858年の天津条約により外国人宣教師の伝道自由が認められると,各地教徒と非教徒との紛争が生じ,国際問題となった。この天津教案は,教会経営の孤児院における虐待疑惑に端を発し,フランス領事・神父を含む多数が殺害された。

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世界大百科事典(旧版)内の天津教案の言及

【仇教運動】より

…だが,そのつど砲艦が急派され,法外な賠償と関係者の厳罰が強要され,そのため官憲が保身のため逆に教会の保護につとめるようになったとき,かつては受動的に仇教に動員されていた民衆が,哥老会など秘密結社を中核とし,弾圧に抗して主動的に仇教の前面に立つようになり,攻撃の対象も教会に限られなくなった。1870年(同治9)の天津教案は教会の孤児院経営への疑惑(小児誘拐・虐待)に端を発し,フランス領事の発砲傷人事件が引金となって爆発したものであるが,当事者だったフランス系のカトリック教会だけでなく,英・米系の教会や領事館も焼かれ,商人をふくむ20人の外国人が殺された。清朝は同数の民衆の処刑を約束するなど屈辱的条件で解決したが,列強はむしろ教案の発生を利用し,侵略の歩を進めた。…

※「天津教案」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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