ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「天津教案」の意味・わかりやすい解説
天津教案
てんしんきょうあん
Tian-jin jiao-an; T`ien-chin chiao-an
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清末,1870年に起こった,天津住民のフランス・カトリック教会襲撃事件。この事件は当時全国に広がっていたキリスト教排斥運動の影響によるものであったが,直接の原因は,フランス教会経営の孤児院に対する児童誘拐の嫌疑にあった。これに対する清仏両国当事者の処置が悪かったために一層民衆の疑惑を深め,排外派の扇動も加わって暴動に発展し,フランス領事はじめ,教会関係者,商人など外人20余名,中国人のキリスト教信者50余名が惨殺された。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…だが,そのつど砲艦が急派され,法外な賠償と関係者の厳罰が強要され,そのため官憲が保身のため逆に教会の保護につとめるようになったとき,かつては受動的に仇教に動員されていた民衆が,哥老会など秘密結社を中核とし,弾圧に抗して主動的に仇教の前面に立つようになり,攻撃の対象も教会に限られなくなった。1870年(同治9)の天津教案は教会の孤児院経営への疑惑(小児誘拐・虐待)に端を発し,フランス領事の発砲傷人事件が引金となって爆発したものであるが,当事者だったフランス系のカトリック教会だけでなく,英・米系の教会や領事館も焼かれ,商人をふくむ20人の外国人が殺された。清朝は同数の民衆の処刑を約束するなど屈辱的条件で解決したが,列強はむしろ教案の発生を利用し,侵略の歩を進めた。…
※「天津教案」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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