日本大百科全書(ニッポニカ) 「太平洋セメント」の意味・わかりやすい解説
太平洋セメント(株)
たいへいようせめんと
セメント業界の首位企業。小野田セメント、秩父(ちちぶ)セメント、日本セメントの3社が前身。
小野田セメントは1881年(明治14)元毛利藩士笠井順八(じゅんぱち)(1835―1919)により、「セメント製造会社」として山口県小野田(現山陽小野田市)に創立。1891年小野田セメント製造と改称、1901年に三井物産と製品一手販売契約を締結、製造に専念した。第二次世界大戦後は、中国や朝鮮などの外地18工場の喪失と三井物産の解体で大きな打撃を受けた。1951年(昭和26)社名を小野田セメントに改称、化学やエンジニアリングなど事業多角化による関連会社を多数設立、東南アジア、アメリカ、中国での海外事業も展開した。
秩父セメントは諸井恒平(もろいつねへい)(1862―1941)らにより1923年(大正12)に設立され、武甲(ぶこう)山の良質の石灰石と関東市場を見込んで、臨海工場ではなく、内陸の秩父に工場を設けた。第二次世界大戦後も堅実経営を貫き、着実な成長を続けた。
日本セメントの前身は1873年(明治6)に明治政府が東京・深川(ふかがわ)に創設した官営セメント製造所である。1883年に浅野総一郎が借り受けて経営を開始し、翌年払い下げられ、98年に浅野セメント合資会社を設立、1912年(大正1)株式会社となる。戦前期を通して合併や新工場建設により全国に基盤を拡大、台湾、朝鮮、中国にも進出した。第二次世界大戦後、在外資産を失い、浅野家も経営から退き、1947年(昭和22)日本セメントと社名変更。高度成長期に生産設備を相次ぎ増強、1980年代以降、非セメント分野にも積極的進出を図った。
その後セメント業界が過剰設備を抱え、経営環境の厳しさが増すなか、業界再編成を目ざして1994年(平成6)に小野田セメントと秩父セメントが合併、秩父小野田となり、98年には秩父小野田と日本セメントが合併して、シェア39%の太平洋セメントとなった。資本金695億円(2008)、売上高3101億円(2008)。
[中村青志]