日本大百科全書(ニッポニカ) 「セメント工業」の意味・わかりやすい解説
セメント工業
せめんとこうぎょう
セメントを製造する工業で、窯業の一部門。天然の岩石は古代から重要な構造材として利用されていたが、その接合剤としてエジプトでは石膏(せっこう)をピラミッドに用い、ギリシア、ローマでは生石灰を火山灰と混合して神殿の造営に用いていた。このような気硬性のモルタルは広義のセメントと解することができるが、中世を経て近世初期に至るまでは、セメント技術の変革や進歩はほとんどみられなかった。
[青木弘明・大竹英雄]
歴史と発展
18世紀中期、産業革命期に入るとともに、近代セメント技術を確立する重要な研究と発明が相次いで行われた。1756年イギリスのJ・スミートンは、灯台の再建工事にあたり水硬性石灰を発見し、1760年石灰石を焼成する際に高熱を受けた箇所にみいだされる融塊(クリンカーclinker)の量が、付着する粘土の量と関係することを発見した。のちに1824年、同じイギリスのJ・アスプディンにより、この融塊の粉末を水と混和すれば、優れた水硬セメントが得られることが実証され、そのモルタルがイギリスのポートランド島に産出する自然石に似ていることからポルトランドセメントPortland cementと命名された。初期には原始的な竪窯(たてがま)による焼成が行われたが、1873年イギリスで回転炉が開発され、1889年キーストン社Keystone Co.が最初の回転窯rotary kilnを建設して著しく生産を向上させ、以後この方法が各国で採用されるに至った。
日本では1871年(明治4)大蔵省が所管することになった土木寮が、その後摂綿篤(セメント)製造所を創設した。この製造所は1874年に工部省に移管され、翌年セメントの製造が開始された。その後、工部省深川工作分局と改称されたが、製法はイギリスの湿式法が採用され、徳利窯といわれる竪窯で消石灰と河泥を混合してセメントを焼成した。回転窯は1903年(明治36)浅野セメント(後の日本セメント、現太平洋セメント)が初めて採用した。セメントは産業発展の基盤となる道路、港湾、橋梁(きょうりょう)、ダム以外に、一般の住宅、工場、ビルの建設に不可欠の資材であり、その原料(石灰石、粘土、珪石(けいせき)、鉱滓(こうさい)、石膏)はほとんど国内で自給できるため、著しく成長した。とくに第二次世界大戦後は戦災の復旧と公共事業の増大に伴って急速な発展を遂げ、1973年(昭和48)以降生産量はアメリカを凌駕(りょうが)し、ソ連に次いで世界第2位を占めるに至った。このような急激な発展の原因には、旺盛(おうせい)な需要があげられるが、セメント工業の性格として典型的な装置産業のため大規模化によるコスト・ダウンのメリットが大きく、業界あげて規模の拡大を図ったことと、各地に生コンクリート基地を建設し、ミキサー車の配備による供給態勢を確立したことが最大の要因といえる。
また工場の新増設の過程で原料処理工程の湿式から乾式への転換、オートメーションの採用、重油炉への切り替えなど合理化が進められる一方、量産効果の大きい湿式のロングキルン(長さ200メートル)や燃料消費の少ない乾式のサスペンションプレヒーター付きキルン(SPおよびNSPキルン)が導入され、原単位(セメント1トンを生産するのに要する原料、エネルギーなどの使用量)、労働生産性が著しく向上したこともその要因にあげられる。なお、現在の製法はSPキルン、NSPキルンのみである。
しかし元来セメントは吸湿性が大きく、固化しやすい性質のため貯蔵が困難で、需要も季節変動が大きいなどの理由により、生産は過剰ぎみで、不況期におけるダンピングや慢性的な操業短縮(操短)が収益性を悪化させる原因となってきた。オイル・ショック以降、重油や電力の高騰によるコスト・アップと景気の低迷に伴う需要の減退が、1981年に初めて生産減をもたらした。
[青木弘明・大竹英雄]
需給構造と課題
設備過剰から1984年には「特定産業構造改善臨時措置法(産構法)」の指定を受け、販売部門の共同化や設備廃棄が実施された。また1985年以降の円高を背景に輸入が急増し、1987年には「産業構造転換円滑化臨時措置法(円滑化法)」の指定を受け、設備廃棄や事業提携強化などの合理化が進められた(円滑化法の指定は1991年解除)。
この間、内需はバブル景気によって1990年(平成2)に8629万トンのピークを示した後、徐々に減少したが、生産量はバブル後も景気対策による官公需要、消費税率アップ(1997年度から)に対する駆け込み需要、アジア向け輸出などにより増加し、1996年には史上最高の9927万トンを示した。しかしその後は減少の一途をたどり、2008年(平成20)は6000万トン程度となっている。2010年以降の内需は1990年代のピークの半分程度(4000万トン台)を推移するとされている。製品は生産の4分の3がポルトランドセメント、残りが混合セメント(高炉セメント、フライアッシュセメントなど)である。需要の7割以上は生コン業者によるもので、ついでセメント製品(道路用コンクリート製品、コンクリートパイル、木材セメント板、気泡コンクリート製品等)、建設業、小売業の順となる。内需の構造は官・民の比率が49.5:50.5(2008)であり、用途は建設が5割強、土木向けが4割強である。輸出は、アジア向けが構成比を下げてはきたものの最大で65%(2009)、ついでオセアニア、アフリカ、中近東の順となる。設備稼働率維持を目的にしているため輸出価格は国内価格の半値以下が常態化している。輸出量は1994年には約1500万トンを示したが、アジア経済の停滞で減少し、2004年以降1000万トン程度で推移している(2009年は1100万トン)。ただし内需が減少しているため生産に占める輸出量の割合は2000年ごろの10%前後から17%にまで拡大している。輸入は内需の2%以下である。
生産企業は17社(2011)であるが、1998年秩父小野田と日本セメントの合併で誕生した太平洋セメントはシェア(輸出を含む)35%程度で、これに販売額第2位の宇部三菱(うべみつびし)セメントと第3位の住友大阪セメントを加えた3社の販売シェアは80%を超え(2008)寡占状態にある。品質は世界のトップレベルといわれ、低発熱セメントやエコセメントの実用化、高強度コンクリート用・高流動コンクリート用セメントなどの開発も行われている。しかし過当競争状態にあり、今後も業界の再編や提携によって競争力を高める必要がある。1980年代後半から2000年にかけて、アメリカ、中国、フィリピン、ベトナムへ進出してきたように、今後もインフラ整備や経済活動の活発化で市場拡大が期待できるアジアや中東、極東ロシアなどの現地市場への参入が生き残りと活躍の場となろう。
また減少が続いている国内需要拡大のためには、コンクリートによる道路舗装が提案されている。アスファルトに比べ初期投資額は多いが、耐久性が高いために結果的にライフ・サイクル・コストが安く、総コストではアスファルトよりコンクリートのほうが安価であるとして、業界はコンクリート舗装への転換をPRし始めている。
原料供給は、石灰などは各メーカーが所有する鉱山から、燃料の石炭はオーストラリア、中国、ロシアからの輸入、消費電力の6割は自家発電、4割が買電とされている。
コンクリートにはセメントの数倍の骨材が必要であるが、骨材の確保はセメント工業の大きな課題となっている。骨材(砂、砂利など)は河川や海岸の砂(過去に海砂の塩分による鉄筋の腐食の問題点が指摘されたことがある)、砂利が用いられていたが、採取規制が強化されたため山から骨材を採取してきた。しかし環境破壊の点から原料の石灰石の採掘とともに規制が加えられたため、骨材の3分の2が砕石となり、砕砂も増加しているとされる。リサイクルの観点からは、ビルの解体などで出るコンクリートの再生骨材や高炉スラグ骨材なども使われている。セメント業界では、高炉スラグ、石炭灰、一般廃棄物やその焼却灰はセメントの原料や混合材として利用されている。また、木くず、廃プラスチック、廃油、廃タイヤなどは生産工程での燃料として利用されるなど、産業廃棄物処理の役割も担っている。2010年4月、土壌汚染対策法が改正・施行され、汚染土壌を原料としてセメントを製造する汚染土壌処理が可能となった。このためセメント業界は環境問題やリサイクル問題など社会的意義の高い事業に進出することにより事業の裾野(すその)が広がっている。
[青木弘明・大竹英雄]
『金融財政事情研究会編・刊『業種別審査事典』第3巻(1999、2008)』▽『セメント新聞社編・刊『セメント年鑑 第55巻(平成15年版)』『同 第58巻(平成18年版)』(2003、2006)』▽『セメント協会編・刊『セメントハンドブック 2003年度版』『同 2006年度版』(2003、2006)』▽『セメント新聞社編・刊『セメント産業年報 アプローチ 第43集(2009年版)』(2009)』